神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

ユダヤ論者も伝書鳩が好きだった!?


伝書鳩については、黒岩比佐子さんの文春新書『伝書鳩−もうひとつのIT』が存在するので、詳しくはそちらを見ていただくとして、同書にも書いていないネタを紹介してみよう。


1 反ユダヤ主義者と伝書鳩


伝書鳩』には、「大戦終結後の1919年、以前の失敗に懲りた陸軍は、フランスから伝書鳩一千羽および移動鳩舎四台、その他の鳩舎用具等を輸入し、さらに、軍用鳩の訓練の教官を初めて日本に招聘した。」とある。


この伝書鳩の輸送を行ったのが、反ユダヤ主義者として著名な四王天延孝であった。同氏の『四王天延孝回顧録』(昭和39年7月)によると、

然るに世界大戦の教ゆる所によると、無線通信にも幾多の困難な問題が残っていて曩にも述べた通り暗号にしても、敵に取られて良い情報を提供することもあり、又野戦に於ては空中の電波雑踏を来したりするので、鳩には鳩特有の長所が認められ敵も味方もこれを盛に使ったのであるから、これを復活する必要が起こったのである。(中略)
そこでフランス軍から鳩の育成、使用に堪能な中尉一名下士官二名を選びその家族三名と共に千羽の鳩の宰領をすることとなって、マルセイユ港で輸送船に特別の装置を施して積込むことが仕事になった。


結局、この輸送は死んだり、実験で帰ってこなかった20羽を除き、無事に大正8年3月末神戸入港を果たす。
ちなみに、四王天は、昭和17年11月現在で、社団法人大日本軍用鳩協会の総隊長(会長、副会長に次ぐナンバー3みたい)であった。

四王天は、翌年シベリア出兵によりウラジオへ派遣されることになる。



反ユダヤ主義者の軍人だけでなく、親ユダヤ主義者の軍人にも伝書鳩と深く関わる人物が登場する(もっとも、反ユダヤ主義とか親ユダヤ主義とかいっても、酒井勝軍や安江仙弘など、どっちでもあるような人もいるから区別する意味はないのかもしれない)。


2 親ユダヤ主義者と伝書鳩


まずは、小磯国昭からいこう。

『葛山鴻爪』(小磯国昭自叙伝刊行会編)によると、大正15年頃の話として、


参謀本部に於ける筆者の公務は、常務の外、軍用鳩運用の為、教範を研究編纂するの必要に迫られてゐた。(中略)
我が陸軍でも大正の中期から軍用鳩の研究に着手して、今日に及んだのであつたが、之が運用上、何等拠るべき典範類がなかつたので、其の編成や動員を担当する第一課が典範編纂をも担当することになつたのである。
本業務は専ら課員の吉積正雄大尉が担当してゐたが、(後略)


とある。なお、小磯が参謀本部第一課長だったのは、大正14年5月から15年12月まで。


小磯は、大正7年8月から8年3月までシベリア出兵に派遣され、そこで通訳として従軍していた酒井勝軍と出会うことになるが、それはまた別の物語。→「酒井勝軍とハルマゲドン」(2010年3月20日