神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

相馬黒光と酒井勝軍のデート


広瀬川の畔』(昭和14年。『相馬愛蔵・黒光著作集5』(平成8年)所収』から。



押川[方義]先生の門下は、島貫[兵太夫]さんを初めとしてみな優秀な人ばかりでしたが、中にも酒井勝軍は均整のとれた美事な体格、立派な容貌で、音楽が好き、讃美歌をうたう時は
多勢の中からこの人の声だけが際立ってきこえました。(中略)
酒井さんは相変わらずよく来るし、気軽な手紙を往復する、無論何の意味もない手紙でしたが、ある時、川内に散歩しないか、そこで握手しましょうというようなことを書いて来たので、私は何となく胸をときめかせて、その手紙を大切にしまいこみました。(中略)
しばらく待っていると、近眼鏡をかけて酒井さんがやって来ました。例の無口で、ちょっと頭を下げるとズンズン先に立って歩きました。私も黙ってついて行く、(中略)ただ歩き回るばかり、ついにハイカラな握手ということもないで山を下りて、また黙って左右に別れて帰りました。(中略)それっきりニ度と誘っても来なければ、おかしいことだったと思い出していうこともない。(中略)島貫さんの次のお兄さんという格で、ずっと交際はつづき、考えて見ると随分罪がないものでした。

やっぱり無口な男はもてないか・・・しょぼーん。

もし、相馬黒光酒井勝軍が結婚していれば、新宿中村屋は誕生していないが、誰ぞがひどい目にあったという地下鉄事件を引き起こしたカルト教団も誕生しなかったであろうと思うと、このデートが成功していれば!と思わないでもない。



(参考)原田実「我が出会ったもうひとりの「カリスマ」」(「宝島30」平成7年11月号)から。

麻原氏は1985年、オウムの会代表を名乗り、『ムー』誌上に「実践ヨガ」を連載。また、同誌の同年11月号(第60号)には、やはり麻原彰晃の名で記事「幻の超古代金属ヒヒイロカネは実在した!?」を発表した。(中略)
それはまず、「かつて本誌でも取り上げた謎の古文書『竹内文献』」に基づき、太古の地球上に日本を中心として高度な文化があったことを説明する。そして、その文化は超能力によって支えられたものだとし、その超能力の力の源泉こそ、かつて『竹内文献』の研究家・酒井勝軍が発見したという謎の金属ヒヒイロカネであったと強弁するのである。


原田氏によると、教団の原点には酒井勝軍があり、「オウム真理教もまた、私の見地からすれば偽史運動の一種に他ならない」というが、ごもっともな意見である。


また、誰ぞのいうレアな話題になってしもうた・・・