島田 (前略)だから竹内なるものが真にさういふものがあると絶対に信じ、弘めたいと思ふならば、先づ宮内省に出頭すべきものである。これは今泉先生が竹内と話された後「それはお前、行くところが違ふだらう。なぜ宮内省に持つて行かぬのか」と仰しやつた。
藤澤 行つたのぢやないですか。
島田 いや、行きはせぬですよ。行つたのは結局今泉先生と警察署でせうから、これは喚ばれて行つたのだ。(中略)ところがこの間に単に弁護士のみならず来たものにどういふものがあるかといふと酒井勝軍といふ人がをります。(中略)日本人の祖先はユダヤ人だといふ。(中略)しかもこの酒井勝軍といふ人と共に、小谷部全一郎といふ人がゐる。小谷部全一郎といふ人は、昔皇典講究所の講師をしたといつてゐるが、あの人はユダヤの人間が日本に流れて来て、これが貴い方になつたといふことを言つてゐるのですね。
(参考)昭和18年7月26日に開かれた座談会。出席者は、島田春雄、藤澤親雄、三浦一郎(ペンネームは三村三郎)、小寺小次郎。
戦時下になんとものんきに偽史論争というべきか、戦時下だからこそ国体に微塵の揺らぎも許さないというべきか。
文中の「今泉」は当然「今泉定助」であろう。竹内文献の教祖と面識があったのだ。酒井といい、小谷部といい長山氏の書にも出てくる人物。だんだん、戦前のトンデモ人物のオンパレードになってきたぞ!
ちなみに、この座談会での発言によると、藤澤は、
親父が文官試験を受けろといふから受けてその年文官試験をパスして、それから官吏になつた、その当時は帝大といふのはずゐぶん信用があつたから、実際思ひ上つてをりました。それから大川周明氏と一緒に官吏を辞めた。官吏は向かないから、満鉄の経済調査局に入つた。大川周明、佐野学が一緒だつた。上村君の兄貴も僕のあとに入つて来た。当時あそこの主事をしてをつた松岡均平といふ人が政府代表となつて国際労働会議に行つた。それからアメリカに行き、アメリカで数箇年植民政策をやつて、それから満鉄の本社に勤めた。それから私はパリーに行つたが、当時国際連盟が出来て、国際連盟のはうで日本人の部員が欲しいといふのだ。その当時ぱりにゐたのが谷と澤田だ。(中略)仕方がないからジユネーブに行つて三年ゐた。
という。実におもしろい経歴である。
注:「谷」は、谷正之フランス大使館三等書記官、澤田は澤田廉三フランス大使館三等書記官と思われる。