神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

 あまり深入りするのはちとヤバそうな雰囲気もあり!?


 さて書物奉行さんが、皇道図書館の詳しい関係者のリストを追加
 してくれたので、色々調べてみる。
 玄洋社黒龍会の関係者は、一見いなそうに見えた。
 ところが、『頭山満翁写真伝』(藤本尚則編)を見ると、皇道
 図書館の名誉顧問たる今泉について、



   神宮奉斎会々長今泉定助翁は、多年頭山翁の同志として、
   我が国体観念の鼓吹に終始一貫の努力を拂へる老国士であ
   る。これは昭和7年12月10日、その古稀祝賀会が上野
   精養軒で開催された時の写真で、壇上に立つて賀辞を述べ
   つつあるは文学博士三上參次氏、着席せるは右より田中舍身
   居士、頭山翁、今泉翁、小笠原長生子、有馬良橘大将、
   藤澤幾之輔氏。頭山翁曰く、
     今泉は私の旧い友人ぢや。私が、今上天皇陛下御成婚
     の御饗宴に召された時、私が宮中の事に不案内といふ事
     を知つて居る今泉が自動車で迎へに来てくれて、一緒に
     連れて行ってくれた。おツ母さんがついて行ってくれる
     ようにネ。


 人名辞典などによれば、今泉は、文久3年(1863)生まれ。
 東京大学古典講習科国書課卒業。東京学士会編纂委員として、
 古事類苑を編輯したり、国学院大学で講師をしている。昭和
 12年に日本大学(当時の総長が今泉と同様に皇道図書館
 名誉顧問だった山岡萬之助)に皇道学院を設け、院長となる。
 戦後『今泉定助先生研究全集』が日本大学今泉研究所から刊行
 されているから、皇道図書館のメンバーは、戦後日本大学
 在職しているかもしれない(国学院の可能性もありか)。
 (同図書館の高橋昊の名前が『全集』の執筆者としてある。)


 今泉も頭山も、昭和19年に相次いで死亡している。敗戦を知らず
 にすんだのは、ある意味で幸いだったかもしれない。
 皇道図書館発起人の並木軍平は、明治41年10月群馬県生まれ。
 敗戦まで無事に生き延びることはできたであろうか。そして、戦後を
 どのように生きたのであろうか。今後の「書物蔵」に期待するもの
 である。


追記:皇道学院の著名な卒業生の一人に、児玉誉士夫がいる。これ以上の
   深入りは私は、よしておこう・・・なんちて。


   「kuzanさん」の「くうざん、本を見る」1月4日に三上とともに今泉
   の名前もあがっている。