新潟県長岡へ疎開したまま、帰京していない父の水島爾保布に手紙を
出して、佐藤春夫への紹介状を書いて貰った。
(中略)
その時、佐藤は凡そ、次のようなことを言った。
「自分の弟子筋に当たる男に大坪砂男という男がいる。(中略)
大坪を君に紹介するから、彼に頼んで、彼が親しくしている『宝石』
という雑誌にでも作品を載せて貰ったらよかろう。(後略)」
(中略)
大坪は戦前、谷崎潤一郎と親しく、その家に出入りしていて、
谷崎の友人であった佐藤春夫とも親しくなっていたらしい。それ
が縁で、春夫の弟子となり、『天狗』を書き、春夫のもとに持ち
込み、その推輓によって「宝石」に掲載された。
(中略)
後年、異色の推理作家として名をはせた都筑道夫がこの作品に感激、
ファンレターを大坪に送り、その後師事するに至ったというエピソ
ードがある。
(中略)
ところが、「SFマガジン」の編集長になった福島正実は、この雑誌
には、完全に今日泊亜蘭、柴野拓美、瀬川昌男などには執筆を依頼
しなかった。福島は、SFの企画、翻訳等に都筑道夫らとともにたず
さわって来た人で、「SFマガジン」が創刊されるや、自分の手で日本
のSFを育て上げようという、激しい意欲にもえたらしいのである。