長野(宇平治)は、大学予備門で夏目漱石と同級で、漱石が
建築から志望変更して文学に進んだのに対し、彼は予定通り
建築に進んだが、おそらく二人には世代的ま共通性があり、
漱石がヨーロッパの”個”と格闘するのと同じように長野も
ヨーロッパの”石”と取り組んだものと思われる。そして、
漱石が文学を書くのと同じように長野は三井銀行神戸支店
(T5)から横浜正金銀行東京支店(S2)までの古典主義建築を
建て、日本にヨーロッパの真髄をほぼ根付かせることに成
功した。しかし、その後、漱石に起きた「則天去私」に似た
現象が長野にも起こった。
横浜正金銀行東京支店を古典主義で仕上げた後、最後の作とし
て取り組んだ大倉精神文化研究所(S7)は、周辺の住民にとっ
ては奇っ怪な印象の、そして長野宇平治のそれまでを知るもの
にはにわかに信じられないようなスタイルをしていた。(中略)
漱石が”個”を求めた果てに「則天去私」に逢着したように、
長野はヨーロッパの古典を追求した最後に、ギリシア神殿とも
神社ともつかぬ不思議な空間に回帰した。
追記:誰かさんが、大倉山で遭難(笑)しかけていた文化の日は、
わすはサントリーミュージアム天保山で「アール・デコ展」
を見ていたのだ(無料公開日)。