しかし、その日記が今日まで伝わっていたとは、日本のだれも
知らなかった。正教会関係者も日露交流史の研究者も、ニコライ堂
に残されていたニコライの書いた文書は、関東大震災のときの火災
ですべて湮滅(いんめつ)したと思っていた。ソ連の研究者たちも
、ニコライが幕末・明治期の日露交流の最大の橋のような人物で
あることは知っていたが、ニコライにさしたる関心をもたず、まし
てやかれの日記が自国の古文書館に残されていようなどとは、思っ
てもみなかったのである。