神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

『明治の翻訳王 伝記 森田思軒』(谷口靖彦著)から

   その翌(明治)30年の秋、思軒は急死するが、その臨終直後の写真を、(岡倉)天心は親交のあった友人の写真師、小川一真に頼んで撮影をしてもらっている。また。友人代表として黒岩涙香、藤田隆三郎らと葬儀を執行した。思軒は36歳の短い寿命だったが、1歳年下の天心は51歳(大正2年)まで生きた。  

   (中略)

   明治22年ごろ、思軒は「根岸派」の仲間たちと酒を飲んで風流遊びをする。思軒を筆頭に岡倉天心幸田露伴饗庭篁村、高橋太華、宮崎三昧、幸堂特知、須藤南翠、富岡永洗、久保田米遷らの、文士や画家たちがひんぱんに交友する。つねに酒を飲み、文芸談を楽し
み、風流遊びに趣向をこらし、洒落を愛した人の集まりであったようだ。


(参考)山陽新聞社、2000年6月刊。書誌アクセスで入手したと思うが、最近は置いていないようである。