神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

月の輪書林で高畠康明述『皇和霊薬治療の栞』(大日本健康会)

これも南部古書会館で月の輪書林から200円。14頁非売品の小冊子。「(代謄写)」の記載あり。黒鉛筆や朱筆の書き込み満載で普通の人は買わないと思うが、「高畠康明は戦前弾圧された天津教の関係者だったなあ」と気付いて購入。つぶさずに残しておく月の輪も流石。高畠は、『神代秘史資料集成 人之巻』(八幡書店、昭和59年)の大内義郷「神代秘史資料集成解題」などによると、本名康次郎、別名に康寿。明治10年富山市生、大正7年より御嶽教で教導職、そこで天津教教祖竹内巨麿と知り合い、売薬製造業の傍ら竹内文献に陶酔し、康寿述(奥付は康明)で昭和6年10月に『神字起源解』(世界大祖国史期成会)を、康寿名義で24年1月に『世界的宝物の失はれた実相』(シオン教会出版部)を刊行している。26年9月2日没。本書の内容は、

序言
神秘的諸病治療の妙術
治療の説明
一霊薬
二加持祈祷
三手当て看護の方法
四食事養生
五自力更生
全治礼状(一例)

「序言」には「遂に皇和方医薬界の泰斗高畠康次郎先生が永年の苦心研究幾多の献身的実験に依り報ひられ完全なる本邦薬学を茲に確立」とあるので、「序言」は別の人が書いたのかもしれない。
また、「序言」には、

(略)抑も我が古代文献を見るに、神武天皇の以前、即ち天津葺不合神五十七代の天津照雄之男天皇*1御代に支那国王の伏義氏と神農氏とが我日本へ修養の目的を以て渡来し、文武及医術、薬学等を修業せしことあり、然かも滞在年数三十六年に及びその滞在せし所を伏義港と云ふこれ現在の伏木港なりと又両人が得業の上支那へ帰国の時に帰着せし港は天津港と名付けらるとの記載文献あり。これ現在の天津なること疑ひなし。

とあって、竹内文献からの引用と思われる。本書に発行年月日の記載はないが、「序言」冒頭には、「国民精神総動員に際し」とあり、同スローガンが始まった昭和12年9月以降の発行か。そうだとすると、高畠が第2次天津教事件で検挙され、起訴猶予になったのが、同年6月26日なので、自身が会長を務める大日本健康会からこのような本を発行するとは、懲りない人である。
追記:国会図書館に12頁の高畠康次郎『我が神代の薬物』(大日本健康教会、大正15年)があり。

*1:正しくは、五十八代御中主幸玉天皇か。『神代秘史資料集成 天之巻』収録の『神皇御記録第二巻』天津照雄之男天皇不合五十七代天日嗣天皇の条には「アジチノ支那奉天天降リ天皇大前ニ伏義氏神農氏参朝拝礼シ所ヲ奉天城ト云フ」と、御中主幸玉天皇不合五十八代天日嗣天皇の条には「アジチ唐支那王伏義氏神農氏来リ拝礼ス伏義神農両氏居ル所ヲ伏氏ギノ水門云フ居ル三十六年目アジチイタナノ国天津ニ帰京シ所ヲ天津ト名付ル」とある。