小松左京『日本沈没』第二部の真相

小松左京研究会の会誌『臥猪庵通信』2巻5号、1980年1月の「臥猪庵ジグソーパズル」第4回は、62年光文社入社後、『マイホーム』、『女性自身』、『少年』を担当し、67年からカッパ・ノベルス編集部に異動し、小松左京の四人目の担当となった濱井武氏がゲスト。

浜井 (略)『SF宝石』の創刊にあたって、第二部を連載してもらおうかって。そのことで小松さんの所に相談に行ったことがあるんです。そうしたら小松さんは「これは書き下ろしでやるテーマだし、書き下しでやりたい」って言って下さったんで、そのこと自体は担当者としては非常にありがたいんですけど・・・ありがたくないんだな(笑)。もっと前には『宝石』でという話もあったんです。(略)これからはへたな催促をしますから、研究会の方でも側面攻撃して下さいよ(笑)。巨城を崩すにが方々から矢を射った方がいい(笑)。
ーーこちらでは一応、来年の内にという言質を取りましたから。

「言質」というのは、78年のASHINOCONでの小松との一問一答で、第二部について「どんなに長くてもあと二年、お待ちください」との答えを引き出したことを指す。『日本沈没』第二部が『SF宝石』に連載されていれば、同誌の寿命がもっと延びていただろうし、何よりも2006年に谷甲州により書かれた第二部と異なり、真に小松本人により書かれた第二部が読めたことになる。

日本沈没 第二部

日本沈没 第二部