島源四郎の名前は幾つかの日記で見ることができる。
大正14年1月9日 春陽堂島源四郎来、鳶魚随筆三百頁以上のもの来る二十日に原稿渡すべきよし談合(略)(三田村鳶魚)
15年2月23日 晡時春陽堂店員島氏来りしかば、荷風文藁と名づけたる旧藁の出版を托す。(永井荷風)
昭和 9年2月25日 午后島源四郎来る、直木*1への香料佐々[ママ]木*2に頼む事を頼む(志賀直哉)
10年10月2日 午後小山書店主人来談。晡下新小説社島氏来談。
[朱書]島源四郎 神田錦町一丁目四番地25三四〇一番(永井荷風)
注:( )内は、日記の筆者を指す。
島については、志賀直哉全集第16巻(岩波書店、2001年2月)中の「日記人名注・索引」によると、「明治37・7- 春陽堂出版部員。のち新小説社を経営」とある。同巻の注は時々役に立つ。
さて、生年はわかったが、没年は・・・。これも目途がついた。括目して待て、なんちて。
あんまり待たしてはいかんので、解答を。『日本古書通信』平成7年1月号の訃報欄に「島源四郎氏(新小説社々主)十一月二十一日死去、九十一歳。元春陽堂社員」とある。
(参考)島は同誌昭和59年7月号〜60年7月号(1月号を除く)に「出版小僧思い出話」を執筆。
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