神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

神保町「ワンダーランド」終焉の謎


「本の街日記」さんの御教示により、蟻二郎古書店ワンダーランドの閉店年が1999年と判明。同店が営業を開始したの1979年10月、当時早稲田大学第一文学部の二回生で、その後大学院に進み、英米文学を学び、晶文社大好きオジサンとなる(もはや過去形とすべきか?)あの人も、当然ワンダーランドに行ったことがあるような気がする。
「誰?」って・・・坪内祐三氏に決まってるじゃん。


(参考)「本の街日記」さんに教示された、岡崎武志、CWS編『本屋さんになる!』(メタローグ、2004年7月)中の古本酒場「コクテイル」の紹介文(取材・文/岡崎武志)によると、

その蟻さんが「ワンダーランド」という英米文学中心の洋書屋をやっていたんですが、ぼくが入った頃には、蟻さんは既に亡くなっていました。奥さんがあとを継いでいて、面接のとき、本が好きだとか、いろいろ話してるうちに気に入ってもらえたんです。(略)
「ワンダーランド」には99年に閉店になるまでの2年と少しいました。神保町の古本屋さんとのつきあいはまったくなかったですね。(略)組合に入っていませんでしたから。「ワンダーランド」が店を閉めたのは、蟻さんが亡くなって、洋書のことを知っている人が誰もいなくなったから。さらに「太陽社」でつきあいのあった大学教授たちとの関係もなくなったんです。山一證券がつぶれるのを見て、奥さんが「あんな大きな会社がつぶれるようでは、もうこの先ダメだ」といって店をたたんでしまった。


書物奉行氏の『東京ブックマップ』の調査によると、正式名称は「洋書ワンダーランド」で1997年又は98年に閉店だという。真相は、お酒の苦手な(?)小谷野氏に「コクテイル」(高円寺。店主は狩野俊(かりの・すぐる))の取材に行ってもらうしかないか・・・


追記:山一證券の破綻(1997年11月)と2年いたということから、96年入店(1月の蟻の死の後)、98年閉店*1と見るべきか。


このネタを後から独立させたため、書物奉行氏よりいただいたコメントは、次の長田秋濤関係のコメント欄にあります。

*1:同書の狩野氏の略歴には、96年神田の洋書店「ワンダーランド」へ転職。99年同店閉店とともに独立、国立に古本酒場「コクテイル」を開業。2004年三代目「コクテイル」を高円寺に開店、とある。

最初の露探容疑者長田秋濤


日露戦争期に露西亜(ロシア)の軍事探偵(スパイ)のことを「露探」と呼んだが、その疑惑を受けた最初の人物は、長田秋濤であった。長田や秋山定輔など露探の容疑をかけられた人達については、奥武則『露探』(中央公論新社、2007年8月)に詳しい。


同書の年表によると、

明治36年8月29日 権藤震二が『電報通信』で長田秋濤を「露探」と指弾
    9月4日  長田秋濤、権藤震二を告訴
    11月4日  東京区裁判所、権藤に無罪判決


この時期の長田が、市島春城の日記*1に出てくる。

明治36年10月26日 長田秋濤、露探一件ニ付云々の談あり。明朝早川早治を訪問之筈也。


    10月27日 早朝早川早治を下谷に訪ハんとて家を出づ。途中同人の余を訪ひ来るに会し同伴帰宅。半日長田秋濤之露探事件を話し、一時より参校館務を処す。又秋濤と話す。


    11月4日 就寝後早川、秋濤事件ニ関し被告ニ無罪之判決を与へし始末を云々す。


新知見となる事実はないかもしれないが、「長田秋濤」とか、「露探」とか出てくると、ワクワクするね。


なお、長田は明治32年9月から38年7月まで東京専門学校(早稲田大学)の仏語の講師であった。


(参考)露探疑惑を受ける前は、ハイカラな人物として知られていたようだ。外骨の『滑稽新聞』第54号(明治36年8月5日発行)中の「滑稽名数(一)」に、

▲当世三ハイカラー 気障沢山いやみ至極の当世高襟紳士の標本として世間に名高いのは、望月小太郎、松本君平、長田秋濤の三人である、之を当世三大ハイカラーと云ふ(新聞)

とある。松本君平は当時東京政治学校長でよかったかしら。

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南陀楼綾繁さんが小谷野敦編『童貞小説集』(ちくま文庫)の書評を『COMIC Mate』に載せるみたいだが、いつ発売されるのだろう。→「ナンダロウアヤシゲな日々


ダ・ヴィンチ』の「今月の注目本130」に『非望』あり。130分の1だが。

*1:早稲田大学図書館紀要』第27号