神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

谷崎潤一郎のパトロン(その2)


森山重雄『評伝宮嶋資夫』(三一書房1984年9月)には、曽野俊輔という人が出てくる。

曽野俊輔は、播州出の成金でもあり実業家でもあった加東徳三郎の甥であった。宮嶋は二十二歳の頃*1、加東徳三郎商店に勤めたことがあるのでそれで知りあったのだろう。曽野は谷崎潤一郎の無名時代の知り合いで、その経営する株式調査所には葛西善蔵が一時勤めたことがある。そのほか中西伊之助佐藤紅緑青野季吉とも親しく交わり、一種の知的な投機師であった。


谷崎のパトロンだったとは明記されていないけれど、一応挙げてみました。
葛西善蔵は、その年譜によると大正5年10月18日から、蛎殻町の曽野米穀仲買店にしばらく勤めたとされる。
6月15日に紹介したけれど、谷崎も宮嶋も辻潤後援会のメンバーだね。

*1:宮嶋の年譜によると、明治40年兜町の加東徳三郎商店の手代になっている。

谷崎潤一郎のパトロン(その1)


牛尾治朗の「私の履歴書*1で祖父梅吉(1864-1934)について触れている所に谷崎潤一郎関係のネタがあった。

当時のことは人づてに聞くばかりだが、堂島の米穀取引所は、林市蔵理事長がのちに大阪府知事を務めるなど、社会的地位は相当のものだったらしい。牛尾梅吉は取引所の理事になったが、同時期に理事を務めた人物に文箭郡次郎さんがいた。
文箭さんは作家の谷崎潤一郎の支援者で、なかなか粋な人だった。


谷崎のパトロンだったとされる人について書かれた文献は他にも見かけたので引き続き紹介する予定。実際にパトロンだったかは検証が必要。


追記:国会図書館雑誌記事索引で、小谷野敦氏の「駄洒落文化は廃れゆくのか」が、古谷野敦と表示されている。社保庁な並みの誤入力か。訴えられないように早く直しておきませう。

*1:私の履歴書 経済人35』