国会図書館の「デジタル化資料(貴重書等)」のお得な使い方

国会図書館のホームページの「電子図書館」の「デジタル化資料(貴重書等)」で「森茉莉」を検索(「館内限定公開資料を含める」にチェック)すると、全集未収録エッセイがザクザク見つかる。ついでに、「平井金三」も検索すると、精神学院の『心の友』という雑誌に明治42年1月から11月まで「心象研究」を連載していたことがわかる。この精神学院というのは、『難病患者の福音』(精神学院、明治44年7月8版)によると、「元精神学会長桑原俊郎の後を承けて新に立て」たもののようだ。
(参考)国会図書館のデジタル化資料の検索により従来の個人書誌の漏れを補う雑誌文献が随分見つかることについては、森洋介雑誌記事索引の遡及擴張は成るか デジタル化事業に潜む副産物の功用」『文献継承』19号、2011年10月にも書かれている。

平井金三に学んだのは英語か心霊学か

第一高等学校で英語を教えていた平井金三。教え子には、明治43年9月同校二部甲類に入学した森田浩一もいた。森田の日記が影印復刻されている*1

明治44年2月27日 井川君が何か盛んに牛耳つているので聞けば同君は平井先生の所へ行つて催眠術にかゝつて来た相だ、そして色々平井先生が神霊学研究して居る話をする、何でも人を自由にしたりテーブルにダンスをさせたり病気をなほしたりすると云ふ

    4月20日 英語平井先生は、日本人の礼儀に欠けて居ると云ふ事を話された、就中君等は将来日本国民の上に立つものだから最も之の点には注意してほしいと米国へ行つて見て来た彼の国の人の道徳心の厚い事を例に引いて云はれた、大変為めになつた

    6月1日 平井先生の時は例の如く盛んに医者不用説を云ふ

44年2月27日に出てくる「井川君」は後の恒藤恭(戦後、大阪市立大学の初代総長)。2007年8月15日に言及したが、再度井川の日記を引用すると、

明治44年2月27日 五時半ごろ出て、石原、後藤、外に二部の某君と、平井サンのところへゆく。(略)
やがて平井サンが出られ、時候のはなし、紀念祭の余興のはなしがすんだのち、心霊の研究のはなしをされる。/それから石原君が、催眠術をかけてもらふ。そのあとで、あとの三人も一緒にかけてもらふ。某君ハすぐかゝつた。

平井に催眠術をかけてもらった井川が早速友達にその話をしたことが、森田の日記でわかる。それにしても、平井先生から本当に学んだのは英語だったのか、心霊学だったのか・・・

*「平井金三」のカテゴリーを作りました。カテゴリーの一覧を見てたら、明治、文藝、新本とか広すぎて使いづらいものもあるなあ。

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INAXギャラリーで「幕末の探検家 松浦武四郎と一畳敷展」が開催中。来年2月19日(土)まで。日・祝日が休館なので、要注意。無料。誰ぞは、忘れずに行きませう。

*1:『森田浩一とその時代』福生市教育委員会、平成13年1月。

平井金三の「日本語=アーリヤ語説」をたたえた吉田巌

安成貞雄が平井金三の「日本語=アーリヤ語説」を批判したことは、2007年9月1日に紹介したところである。この説は、批判ばかりされたわけではなく、吉田巌などには参考になったようだ。『吉田巌日記第五』に、

明治41年11月29日 先日来拝借して来たまま遂一覧しなかった雑誌道五月号より十月号まで、六巻を通じて平井金信(ママ)氏の日本アリアン対照諺(ママ)類、尤も有益に感謝して通覧した。吾が本年のよみもの中、確に他日世界の大問題として、後世学者の注意をひくべき材料である。松村博士言葉のかずかず、以后こんな珍記事に接したことはない。一々神に徹したる論証、敬服の至極。吾がアイヌ語研究上大に裨益したることを確信、感謝。

    12月1日 夜、雑誌道五月号をよみ、うる処少なからず。平井氏の心霊術より、アリアン語を解せらるるのこと。いかにも敬服のいたりなり。

とある。

日本言葉の会でオタオタする平井金三


森銑三『明治東京逸聞史』には、明治43年に結成された「日本言葉の会」も出てくる。

日本言葉の会(『早稲田講演』四十四・五)
外来語はなるべく使用しないで、わが国固有の言葉を使はうといふ主旨の下に、日本言葉の会といふが出来て、神田一橋の帝国教育会で例会を開いた。そして平井金三、永井一孝、坂正臣の三氏が模範演説をして見せることになつたところが、今日はケフ、今夜はコヨヒ、区別はケジメなどといはなくてはならぬ。うつかり漢語を口にして、頭を掻いて訂正するのに、弁士は大汗を掻き、聴衆は大笑ひだつたさうだ。−−
かやうな記事が見えてゐる。折角の日本の[ママ]言葉の会も、長続きしないで滅びてしまつたらしい。


「日本言葉の会」、いつまで存在したのだろうか。


(参考)平井昌夫『国語国字問題の歴史』巻末の「国語国字問題年表」の明治43年11月の欄に、「「我国の言葉と文章とは日本言葉を基とする」と主張する「日本言葉の会」設立(十三日)」とある。

高島米峰山脈


日本一かと思うほど、あちゅ〜い。
百年ほど前の日本も暑かったようで、大正3年8月13日、高島米峰主催の忘暑会が、神田淡路町多賀羅亭で開かれた。


高島米峰「広長舌荘放言」『新仏教』15巻9号(大正3年9月)によると、

平井君だけは、菜食実験中とあつて、特別精進料理を召しあがる。(略)中にも、副島八十六君の議論、屡々脱線したると、野依秀一君が、浴衣の着流しで、椅子の上に胡座をかき、体に似ない大きな声で、怪気焔を吐きたるとは、最も人の視聴を惹いた。/(略)/何分、暑といふ敵が退却したので、拍子抜けがして、気焔もあまり揚りそうにない。そこで久津見君*1の建議に基いて、五分演説をするといふことになる。第一番が向軍治君で、お得意のローマ字論を唱へる。第二が平井龍華君で、漢語排斥、日本言葉復興といふことから、君が目下、三摩地に関する研究の結果を、日本言葉ばかりで書いて居るといふ苦心談。


この他、堺利彦や強健術の川合春充も出席。堺と、平井龍華こと、平井金三は出会っていたのだね。野依といい、川合といい、黒岩さんの好きそうな(笑)、豪華メンバーだ。


この他、多分無名な人ばかりと思うが、一応他のメンバーの名前も挙げておくと、林嘉陽、神奈倉真民、桑門藻太郎、本城安太郎、川島亀夫、武田芳三郎、渡邊海旭、亀谷天尊、吉瀬才市郎、境野黄洋、豊高鉉次郎、広井辰太郎。
境野黄洋は後の東洋大学学長みたいだす。

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有隣堂本店が縮小するらしい。→「http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kanagawa/news/20080731-OYT8T00111.htm」。なくなる訳ではないが、ちと心配。

平井金三の教育関係著作


1『中学世界』


 「神儒佛」9巻12号(明治39年9月20日
 「答案調べの感想」12巻4号(42年3月20日
 「鳩笛の如き当今の語学生」12巻5号(42年4月10日)
 「精神修養と自己催眠の話」12巻8号(42年6月20日
 「試験準備の真意」13巻4号(43年3月18日)


2『成功』


 「余の英語独学法」14巻3号(41年8月1日)
 「余が金剛不壊の身」15巻3号(42年1月1日)
 「当代四十名士回答宗教信仰後の人生観」18巻5号(43年6月1日)


3『教育公報』


 ダルマパーラ講演、平井金三通訳「印度に於ける現今の社会状態」261号(35年7月15日)


4『教育実験指針』


 「日本語を忘れたる日本人」8巻11号(42年11月15日)


5『家庭之友』


 「婦人の言葉で某[ママ]国の盛衰が分る」9巻7号(44年10月3日)  


(参考)『教育関係雑誌目次集成』

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舞鶴は大騒ぎかすら。


L25』に池脇千鶴登場。映画「丘を越えて」(原作:猪瀬直樹『こころの王国』)に秘書役として登場するらしい。

平井金三と『新小説』


平井金三の「大きな怪物」(『新小説』明治44年12月1日)については、2月15日に言及したけれど、他にも同誌に執筆していた。


 「家庭と催眠術」(怪談百物語)(明治43年8月1日)
 「気海丹田吸気法」(明治43年10月1日)
 「千里眼の能力」(明治44年3月1日)


「気海丹田吸気法」というのは、腹式呼吸のことかしら。川合清丸『気海丹田吐納法』(東京崇文館、明治45年3月)という本もあるみたい。

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週刊朝日』では、野田聖子が根津八紘(諏訪マタニティークリニック院長)との対談で、過去体外受精を14回したと言っている。受精卵についての言及はなし。でも、顔がタイプだから、あまりいじめちゃだめ(笑