神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

谷崎潤一郎

嶋中雄作の一周忌で谷崎潤一郎と出会ったある男

ある人の日記に次のような一節がある。 昭和25年1月17日 午後一時嶋中雄作氏一周忌(築地本願寺)に参列、初めて谷崎潤一郎氏に面会。 彼はこの時、かつて自分が『東洋時論』明治45年3月号で谷崎の作品について、次のように書いたことを覚えていたであろうか…

昭和32年正月の谷崎潤一郎・松子夫妻

昨年11月16日に言及した野上彌生子の日記(昭和32年1月1日の条)で谷崎潤一郎が「ラヂオ年賀状」に登場したという話。 当日の朝日新聞によると、NHK第一放送で午前8時から8時30分まで「ラジオ年賀状」として、滝川幸辰、波多野勤子とともに名前が挙がってい…

森鴎外と谷崎潤一郎・精二兄弟

『日本文壇史』第19巻を紐解いていると、驚いたことに、森鴎外が日記に谷崎潤一郎との初対面について記しているとある。幾つか読んだ潤一郎の伝記には、そんなことは書いてなかったと思う。鴎外と潤一郎に面識があるとは・・・ 早速、鴎外の日記を見てみると…

加能作次郎と谷崎潤一郎・精二兄弟(その3)

加能作次郎と谷崎潤一郎の初対面について、2月4日には明治45年3月10日開催の「森の会」と推測したけれど、それ以前であることに気がついた。 明治45年1月4日に紅葉館において読売新聞社主催で開催された新年宴会に潤一郎が招待されたことはよく知られてい…

三上於菟吉と早稲田大学応援団長吉岡信敬

三上於菟吉というのは、長谷川時雨の内縁の夫だった人らしいが、早稲田大学時代、吉岡信敬の指揮下で応援したことを回想している*1。 そして、同時に、二十二三年前、その当時の早稲田応援団長吉岡信敬氏に指揮されて、Wと白く染抜いた赤い三角旗を振つて、…

中央公論編集者雨宮庸蔵と谷崎潤一郎(その2)

ある人(志賀直哉に非ず)の日記に、 昭和10年2月2日 父さんは二時過嶋中氏と出版部長の雨宮氏と云ふのに会見。四冊で六円のものして、四月から配本して七月には出して仕舞ひ度い意向の由、謡曲をよみものとした全集は佐成氏のもの以外には近ごろ出ず、それ…

中央公論編集者雨宮庸蔵と谷崎潤一郎(その1)

中央公論の編集者に雨宮庸蔵という男がいた。 『志賀直哉全集』第16巻(岩波書店、2001年2月)の「日記人名注・索引」によれば、 雨宮庸蔵 あめのみやようぞう 明治36・1・1−平成11・12・2 通称「あめみや」。早大社会哲学科卒。昭和3年9月11日、中央公論…

加能作次郎と谷崎潤一郎・精二兄弟(その2)

加能作次郎については、松本八郎『加能作次郎 三冊の遺著』(スムース文庫、20005年9月)に詳しいが、同書に参考文献して挙げられている谷崎精二「酒友、碁敵」(『早稲田文学』8巻9号、昭和16年9月)によると、 僕が学生時代、何か学生の会があつた折に島村…

加能作次郎と谷崎潤一郎・精二兄弟

加能作次郎という名前も講談社文芸文庫『世の中へ・乳の匂い 加能作次郎作品集』の刊行により、少しは知名度がアップするか。私も、つい最近まで知らない人だったよ。 『加能作次郎集』(富来町立図書館、2004年11月)によれば、 明治18年1月 誕生 明治40年4…

谷崎潤一郎と石井鶴三

彫刻家・洋画家石井鶴三の日記に*1谷崎潤一郎ネタもあった。 昭和31年6月21日 中央公論社刊谷崎潤一郎集*2の中「上山草人の事[ママ]」の挿絵仕上げ後三時半わたす三枚「ファウストのスケッチ、銀座うら所見、客に来た両女」、古い印象を描いた ウィキペディ…

大正8年の朝日新聞文藝家招待会に出席した谷崎とは

『秋田雨雀日記』第1巻によれば、 大正8年5月20日 午後六時から、築地精養軒で「朝日」の文芸家招待会があった。(略)上野社長[ママ]の挨拶につれて、内田、巌谷、田中(王)、片上、長谷川、岩野、阿倍[ママ]の諸君の演説があり、最後に内藤鳴雪翁の…

谷崎潤一郎・佐藤春夫の「小田原事件」余聞

谷崎と佐藤の間での、谷崎の妻千代をめぐって起きた「小田原事件」とか、「細君譲渡事件」というのは、谷崎を語る場合、重要なエピソードみたいだけど、私自身はあまり興味が持てない。それでも、一つ気がついたことがあるので、記録しておこう。 小谷野敦版…

谷崎潤一郎『朱雀日記』の序章としての木村荘八日記

小谷野敦氏が探求している木村荘太「牽引」についての情報は持ち合わせていないが、その代わりに荘太の弟、木村荘八の日記『木村荘八日記[明治篇] 校註と研究』(中央公論美術出版、平成15年2月)を紹介しよう。 兄の荘太が頻出するのは当然として、その友人…

谷崎潤一郎の第1回支那旅行と木下杢太郎

谷崎潤一郎の第1回支那旅行は大正7年10月出発。その前に準備のため、9月上旬には上京したとされる。この時期に、満州から一時帰国していた南満医学堂教授兼皮膚科部長木下杢太郎と会っている。 大正7年9月4日 ○揚出し 上野 小糸源太郎・鏑木清方・谷崎潤一…

谷崎潤一郎も通ったか「食道楽おとわ亭」

明治43年4月から現在の北沢書店の裏に当たる神田南神保町の裏長屋に住んでいた谷崎潤一郎・精二兄弟。もしかしたら、当時、三省堂の近くにあったという「食道楽おとわ亭」(黒岩比佐子さんの教示によると、正式名称は「三銭均一食道楽おとわ亭」)に行ってい…

谷崎潤一郎ネタと石田幹之助ネタの融合

谷崎潤一郎が、昭和19年7月に限定自費出版した『細雪』上巻。配布先としては、宇野浩二、永井荷風、渋沢秀雄、志賀直哉らが知られているが、もう一人確認できた。木下杢太郎である。 「藜園雑記」中の「細雪」*1によれば、 谷崎潤一郎の「細雪」は嘗て其一部…

谷崎潤一郎とパンの会

谷崎は、明治43年11月20日に三州屋で開催された「パンの会」で初めて永井荷風に出会ったことや、出席者の中に木下杢太郎などがいたことを記している(『青春物語』)。 一方、木下も同日の日記*1に「Tanizaki」と記録している。 ところで、木下の大正6年4月5…

ロシア文学者片上伸の海外逃亡?(その2)

『秋田雨雀日記』に片上伸関係の記事を見つけた(その1は12月25日参照)。 大正7年6月17日*1 夜、片上君の印象記を新聞社に寄贈。片上君はいわゆる天才の人ではなくて努力の人であるということ、あの人の悪い性癖が努力によってりっぱになっていっているこ…

柳田國男と谷崎潤一郎のファースト・コンタクト(その2)

明治42年11月27日に開演された自由劇場の公演について、谷崎は『青春物語』で次のように記している。 自由劇場が第一回の旗挙げとしてイプセンの「ジヨン・ガブリエル・ボルクマン」を試演した時に有楽座の舞台で挨拶する小山内君を、観客席にゐて眺めたこと…

柳田國男と谷崎潤一郎のファースト・コンタクト

柳田の告別式に真紅のバラを贈った谷崎(12月15日参照)。二人の最初の出会いはいつ、どのような形であったか? 吉井勇*1によれば、 その後谷崎君の記憶として私の頭に残つてゐるのは、明治四十二年の十一月に有楽座で催された自由劇場の帰りのことである。…

芥川龍之介の死と谷崎潤一郎

昭和2年7月24日、芥川龍之介自殺。芥川の通夜・葬式における谷崎の目撃記録が残されている。 野上彌生子の日記*1には 昭和2年7月26日 お通夜で谷崎潤一郎が浴衣がけで床柱をしよひ、若造を相手に駄焔をあげてゐた。山猫といふのが彼の仇名さうなが、全く山猫…

谷崎潤一郎・精二兄弟と劇作家秋田雨雀

細江光先生に「キター」と言わせるようなネタは、中々見つけられそうもないが、とりあえず小谷野敦版谷崎潤一郎詳細年譜に未記載のネタを見つけたので報告。 劇作家秋田雨雀の日記は、様々なカフェでテンコ盛り状態の日記。林哲夫氏向きであるが、谷崎兄弟も…

ロシア文学者片上伸の海外逃亡?

片上伸。年譜によると、明治17年2月生まれ、大正9年4月早稲田大学文学部ロシア文学科創設とともに主任教授、大正12年12月文学部長に選出される。大正13年6月教授の職を退き、再度ロシアに遊ぶとされている。昭和3年3月没。また、小谷野敦版谷崎潤一郎詳細年…

谷崎潤一郎と坪内逍遥の出会い

谷崎潤一郎の『青春物語』には、坪内逍遥との出会いについて、文藝協会が北濱の帝国座へ「マグダ」を持って来ていたので、ある晩中井浩水に連れられ見物に行き初めて坪内にあったとある。『坪内逍遥事典』によれば、大阪帝国座での「マグダ」の上演は明治45…

中央公論社社史で谷崎潤一郎を読む

劇作家秋田雨雀の日記*1中昭和30年11月4日の条には、 今日午後五時から歌舞伎座で中央公論七十年記念の招待会があった。緒方、正宗、谷崎(潤)、山川菊栄、佐々木茂索なぞのあいさつがあった。 とある。念のため、『中央公論社の八十年』(中央公論社…

谷崎潤一郎が柳田國男に贈った真紅のバラ

岡茂雄『本屋風情』を読んだ多くの人は柳田國男が嫌いになったのではないだろうか。私もその一人である。もっとも、自分も歳をとってきた今では、人間にはいろんな側面があるから、しょうがないか、と許容しているけどね。 それはさておき、かの分厚い『柳田…

谷崎潤一郎・谷崎精二兄弟と坪内逍遥

「書物蔵」の再開を祝して、「宮本常一と××本」なる面白ネタを投入しようかと思ったけど、宮本ファンの顰蹙を買いそうなので、やめておいて、谷崎ネタにしよう。 谷崎精二『明治の日本橋・潤一郎の手紙』(新樹社、昭和42年3月)によると、 坪内先生で思い出…

谷崎潤一郎『青春物語』続編

ある人の明治45年の日記の一節。 七月一日 六月三十日 追記 朝、漸く起きたところへ、山本鼎君来る。(略) 山本君が仏蘭西へ行くといふことが自分の感情に与ふる影は何であらう。 七月二日 (前略)そこへ正宗得三郎君に出逢ひ、所詮山本君は青木町にはゐは…

谷崎潤一郎と小泉信三

『青年小泉信三の日記』(慶應義塾大学出版会、2001年11月)には、谷崎潤一郎自身は出てこないが、名前は登場する。 明治44年10月4日 「三田文学」の「飆風」(谷崎潤一郎)を読んだ。大変面白いものだと思った。単なる性欲描写よりもよほど詩に近いところが…

宮本常一と谷崎潤一郎その他

宮本常一の日記に、谷崎潤一郎本人は出てこないが、関係する話が出ていた。 昭和21年7月11日 朝七時四十分の汽車で大阪へ向ふ。(略)車中谷崎の『吉野葛』をよむ。いいものだと思ふ。 昭和23年1月7日 昨日今日よんだ本。『橡ノ木の話』『女性改造』1月、『…