神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

出版

『新・日本文壇史第一巻』における松下長平の後日談への補足

川西政明『新・日本文壇史第一巻 漱石の死』(岩波書店)には、妻俊子の不倫相手北原白秋を姦通罪で告訴した松下長平の後日談が、新知見として書かれている。 父親が出版社を経営していたように、長平もまた大正の終わりから昭和十九年まで日比谷出版社(東…

三島由紀夫『花ざかりの森』の発行者七丈書院の渡辺新(その2)

昭和59年10月柴田宵曲の『古句を観る』が岩波文庫から刊行。元版は七丈書院から昭和18年12月に刊行されている。森銑三は「閑談雑抄」*1の「古句を観る」において、文庫化について触れ、「それにしても、この本を出版した七丈書院の渡辺新氏に、その事を伝へ…

三島由紀夫『花ざかりの森』の発行者七丈書院の渡辺新

三島由紀夫は、昭和19年10月15日第一作品集『花ざかりの森』を刊行。発行者は、小石川区大塚窪町二四の七丈書院の渡辺新であった。この渡辺について、三島は、「私の遍歴時代」で、 処女短篇集「花ざかりの森」は昭和十九年の晩秋に、七丈書院といふ出版社か…

金尾種次郎の妹金尾夏子が訳した翻訳小説

玄文社から大正8年に刊行された2冊の翻訳小説『金か女か』(6月)と『名ばかりの妻』(1月)の訳者金尾夏子は、金尾文淵堂の金尾種次郎の妹であった。 徳冨蘆花の日記によると、 大正7年11月23日 金尾の妹は、翻訳を結城(*)の世話で出すと云ふ。金尾が泣…

新潮社の石原源三、死して『日本文学大辞典』を残す

秋田雨雀の日記に、新潮社の編集者石原源三なる人が出てくる。 昭和10年7月7日 きょう、午後鵠沼の尾崎がきて、新潮社の石原源三君の死を知らせてくれた。東洋大学出の男で日本文学[大]辞典の編纂に従事し、仕事の完成と同時に死んだ。仕事のために倒れたよ…

元々社「最新科学小説全集」の翻訳家の経歴

元々社の「最新科学小説全集」を翻訳した13人の訳者の経歴については、既に11人まで紹介してきた。残るはあと二人である。ウィルソン・タッカー『未来世界から来た男』の訳者落合鳴彦については、ラセール・ギルマン『赤い門』(朋文社、昭和32年6月)の「…

翻訳家列伝13(その7)

元々社の最新科学小説全集の翻訳陣について、福島正実は『未踏の時代』で、 (略)元々社では、SFは科学的な小説だからというので、理工科系の若手学者を翻訳陣に入れ、難解な科学・技術的なテクニカル・タームにアタックさせているという、一見まことしや…

翻訳家列伝13(その6)

津田和弘が元々社の命名者として、鵜澤総明をあげたり、斎藤晌をあげたりして、はっきりしないようだが、鵜澤と斎藤とは単に明治大学の総長と教授の関係だっただけではなく、極めて親しい関係だったようだ。 藤澤親雄『創造的日本学』所収の斎藤晌「天才のグ…

翻訳家列伝13(その5)

『最新科学小説全集』の翻訳陣には東大出身者が少なくとも4名いるが、京大出身者もいたようだ。 ナースの『憑かれた人』の訳者下島連がそうだ。『遍歴』(南窓社、昭和60年5月)などによると、 下島連 明治41年長野県生。昭和7年3月京大文学部英文科卒。9年…

翻訳家列伝13(その4)

クラークの『月世界植民地』を石川信夫と共訳した船津碇次郎は、歌人のようだが、よくわからない。 ググると、ウェッジ文庫の担当者によるブログ(「qfwfqの水に流して Una pietra sopra」)がヒットする。 今のところ、次のようにしておく。 船津碇次郎 歌…

翻訳家列伝13(その3)

ポール・アンダーソンの『脳波』などの訳者山田純は、『国立国会図書館著者名典拠録』でようやく経歴を発見。「山田純 大正10年生。共同通信記者。筆名:山田純一」。他の事典では見つからず。L.ブロード『チャーチル伝』(恒文社、昭和40年4月)の訳者紹介…

翻訳家列伝13(その2)

元々社の第2期最新科学小説全集の発行者は、津田和弘であった。高橋良平氏が津田和宏としているのは、誤植だったようだ。 翻訳家列伝を続ける。 ロバート・シェクレイ『人間の手がまだ触れない』などの訳者松浦康有は、 松浦康有 大正3年6月4日生。昭和18年…

翻訳家列伝13

元々社の最新科学小説全集・東京元々社の宇宙科学小説シリーズの翻訳者13人のうち、何人かについては、「kokada_jnet」氏教示の高橋良平氏「日本SF戦後出版史」に書かれている。 私の調査で判明した翻訳者について、記録しておこう。明治大学の関係者が…

関東大震災後の玄文社

結城禮一郎の玄文社だが、関東大震災後の状況が岡本綺堂の日記に出てくる。 大正12年10月4日 玄文社の小林徳二郎君がたづねてくる。小林君は浅草の自宅も焼失、玄文社も焼失、しかも同社は新家庭、新演芸、劇と評論、詩聖の四雑誌発行を一時休刊することにな…

元々社の最新科学小説全集に関するちょっとした発見

河出ブックスもやってくれる。長山靖生『日本SF精神史 幕末・明治から戦後まで』。 ハヤカワ文庫JAからは福島正実『未踏の時代』。 さて、福島の書を見ると、元々社の最新科学小説全集について、次のような記述がある。 一九五六年には、元々社は、佐藤享…

松宮春一郎の『世界聖典全集』と久保田米斎

久保田米斎は松宮春一郎の『世界聖典全集』の装幀を担当したらしい。『日本近代文学館年誌』5号、2009年10月に、久保田の日記*1が掲載されているので、引用する。 大正11年1月16日 朝松宮春一郎君来り聖典全書*2の装幀のことを依嘱せらる 2月7日 聖典全集の…

明治38年『新古文林』創刊

平塚篤は、『日本近代文学大事典』によると、明治16年9月常陸生まれの新聞記者で、東京専門学校中退。黒岩さんの『編集者国木田独歩の時代』によると、『民声新報』時代に独歩と知り合い近事画報社に入ったという。この平塚が『増補版 森鴎外・母の日記』に…

明治39年における雑誌の発行部数

『原敬関係文書第八巻』に「雑誌一覧表(明治39年9月調査 警視庁)」が収録されていて、その備考欄に各雑誌の発行部数が記載されている。そのごく一部を抜き出すと、 近事画報 三千五百部/社勢少シク衰フ 実業ノ(ママ)日本 三千八百部/社勢振フ 新仏教 …

京都のあやす〜ぃ出版社

『京都書肆変遷史』で、あやすーぃ書肆を発見す。 0041 亜細亜宗教宣傳協会 1.薄井継太郎 2.一九二七(昭和2)年 3.上京区平野鳥居前十三 4.出版業 昭和二年九月書店組合に加入。同四年六月脱退した。 1348 耽奇言霊復活社 1.佐々勇二 2.一九三…

事業之日本社長にして萬里閣主の小竹即一

「古書の森日記」で見て気になっていた事業之日本社の社長の経歴が判明。『昭和十年版全国書籍商総覧』(『出版文化人名辞典第4巻』で復刻)から要約すると、 事業之日本社長/萬里閣主 小竹即一 [社]日本橋区呉服橋三丁目七 明治33年7月13日佐渡の眞野村に…

二人の大島豊

『公職追放に関する覚書該当者名簿』には二人の大島豊が出てくる。一人は、ma-tango氏の専門(?)の大本教の信者である大島。もう一人は、セルパンの編集者だった大島である。後者の大島は、明治24年小樽生まれ、昭和40年11月没。『セルパン』の編集長とし…

内務省の「子供雑誌編輯改善要項」がつぶした少年雑誌

平井昌夫編の「国語国字問題年表」によると、昭和13年10月内務省は児童読物改善のため、「子供雑誌編輯改善要項」*1を指示した。内容は、小活字の使用禁止・ふりがな廃止・漢字使用制限で、昭和14年2月号の子供雑誌から適用された。この措置によって、児童雑…

第一書房の再興を夢見た伊藤禱一

第一書房の編集者で、同書房廃業後、八雲書店、斎藤書店を経て、第二書房を興した伊藤禱一。彼が、八雲書店を辞めた時期が判明した。これも新井静一郎の日記だが、 昭和22年4月2日 伊藤禱一氏から手紙が来ていた。一月限りで八雲書店を辞め、今度斎藤書店を…

市橋善之助と冬夏社

市橋善之助という人物については、一昨年5月29日に言及したところであるが、岸田劉生の日記*1にも出てきた。 大正11年5月19日 村娘かいてゐたら約束で市橋善之助君来る。冬夏社から本を出してもらひ度い様子だが云ひにくさうにしてゐる。先約が二つもあるの…

戦後の枝元枝風(枝元長夫)

国木田独歩と親しかった枝元枝風(本名・長夫)。戦前に、近事画報社、東京日日新聞社に勤めていたことは判明していたが、戦後も健在だったようだ。ブンポさんから復刻された『昭和21年度版最新出版社・執筆者一覧』(同年9月発行)によると、 社名 白林書房…

杉浦重剛門下の松宮春一郎

杉浦重剛の日記「致誠日誌」にも松宮春一郎なる名前が出てくる。 大正10年4月22日 松宮春一郎氏来談。稍参考トスベシ。 4月26日 松宮氏来談。参考トスベキモノアリ。 この松宮だが、杉浦の私塾「称好塾」の会誌『称好塾報』(大正13年12月)*1の「塾友名簿」…

松宮春一郎と黒龍会

世界文庫刊行会の松宮春一郎らしき名前を再び見かけることができた。それも黒龍会出版部発行の『亜細亜時論』とは、驚きますね。同誌1巻1号(大正6年7月1日)所載の「有志消息」によると、同年6月13日、尾張町松本楼で、国民外交同盟会及丙辰会、国民義会の…

兎屋誠の偽閉店セール(その2)

兎屋誠は本格的な「オオカミ少年」だったようだ。以前紹介した偽閉店広告の後にも「閉店」セールを宣伝していた。織田久『広告百年史 明治』によると、『東京日日新聞』明治21年3月1日に、 驚天動地兎屋書籍店イヨイヨ廃業広告 (略)来る四月三日限断然書籍…

日本初の婦人雑誌と兎屋誠

『日本の婦人雑誌 解説』所収の「近代婦人雑誌関係年表」(三鬼浩子)の最初に、望月誠編集の『子育の草子』(由己社、明治10.2.20〜10.9.18)が出ていた。我が国で最初の婦人雑誌の編集をしたのは、兎屋誠こと望月誠だったようだ。この人は、やはり出版…

兎屋誠の偽閉店セール

『広告批評』へのオマージュとして。 赤川学『セクシュアリティの歴史社会学』は、猫猫先生がほめるくらいだから、多分名著である。名著の名著たるゆえんだろうか、註にまで極めて役に立つ情報が盛り込まれている。同書によると、兎屋誠が執筆した本として、…