神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

トンデモ

廣田弘毅の私設顧問だった増田正雄

昭和9年当時宇都宮の第十四師団長だった畑俊六の日誌(『続・現代史資料(4)』)に増田正雄が出てきた。 昭和9年1月5日 増田正雄氏来訪、語る処に依れば、 i)、広田外相は対蘇とは戦争となるが如きことなく平和的に折衝すべき自信を有し、又北鉄交渉は成立…

報知新聞南方調査会

片岡貢の南方調査会について、正体が判明した。『全国国家主義団体一覧 昭和16年10月現在』の「興亜団体」の部に「報知新聞南方調査会」の記載がある*1。 報知新聞南方調査会 麹町区有楽町 報知内綱領目的 本会は亜細亜大陸の南部、太平洲・太平洋南方の諸嶋…

トンデモ本の殿堂狩野文京堂

林哲夫画伯の「daily-sumus」に出てた京都の狩野文京堂。初めて行った時、今で言うところのトンデモ本の山で驚いたものである。左側の入口から入った所の棚に、神代文字や反ユダヤ主義、日ユ同祖論などの本がてんこ盛りだった。酒井勝軍や包荒子*1らの本、『…

慶應義塾図書館員井上芳郎と柳田國男の深い交流

慶應の窓際図書館員で『シュメル・バビロン社会史』の著者である井上芳郎については、2006年7月8日、同年9月21日に言及したが、『炭焼日記』にあるように柳田國男と親しかったようだ。柳田の年譜(『柳田国男伝別冊 年譜・書誌・索引』)にも井上の名前があ…

ムー大陸の紹介者片岡貢司=片岡貢

幸田露伴の知人に、戦前ムー大陸を紹介した片岡貢司なる人物がいたことは2006年6月15日、同年11月4日、昨年11月13日に紹介したところである。この人らしき人物が斎藤茂吉の日記に出ていた。 昭和19年10月31日 ○露伴先生ニ招ガレ晩餐、(内田誠一明治製菓株式…

高窪喜八郎と神代文化研究会

神代文字信奉者の一人である河村圭三については昨年4月18日に言及したが、神代文化研究会の発会員の一人だった。 森克明「神代史運動と中里義美」によると、 天津教の教勢拡大と軌を一にして、以前より『竹内文献』の研究を志向していた高窪喜八郎は、昭和十…

芹沢光治良と小田秀人

勝呂奏『評伝芹沢光治良』(翰林書房)に、小田秀人が出てきた。 昭和五年十一月三日に発会した心霊研究をする菊花会に芹沢が名前を連ねていたことが、小田秀人の『四次元の不思議−心霊の発見−』(昭和46・2刊)に見える。小田は第一高等学校の先輩で兄の真…

スメラ学塾ブーム来るか

今年スメラ学塾について言及していた文献 ・昆野伸幸『近代日本の国体論 <皇国史観再考>』(ぺりかん社、2008年1月)・・・ただし、スメラ学塾に言及した箇所は、「吉田三郎の<皇国史観>批判」『日本思想研究33号』、2001年3月を再構成したもの。 ・長谷…

明治期に来日した怪しいペルシャ人

明治41年に志賀直哉や武者小路実篤らが、催眠術を見学していたことは5月22日に紹介した*1。この年、二人は来日していたあやす〜ぃペルシャ人に出会っている。最初に出会ったのは志賀。箱根で初めて出会い、その後上野で再会したという。武者小路が志賀から聞…

帝国陸軍の超能力研究?

井伏鱒二と中島健蔵との対談*1にあやす〜ぃことが書いてある。 中島 大久保中佐というのは二・二六事件の「兵ニ告グ」の起草者だが不思議な人でね、テレパシーというのかね。物が突然とどこかへ運ばれちまうとか、SF小説みたいなことを信じていたんだよ。 …

戦時下のノストラダムスの大予言

串田孫一の日記に面白げな記述がある。 昭和20年4月13日 この前東京に行った時に山崎正一さんと話をした。そのことで葉書が来る。 「(略)目下のトコロ地下室に書棚を並べ机を据ゑ、ラヂオと電燈をつけて、暴風雨の中で勉強を致します、ノストラダムスの呪…

森銑三の身近にいた竹内文献拝観者

森銑三の『読書日記』は、狩野亨吉による竹内文献批判について言及している。 昭和13年12月28日 午後狩野先生を訪ふ。(略) 一昨年六月号の『思想』に狩野先生の寄せられたる「天津教古文書の批判」の抜刷を借りて直ちに一読す。長慶天皇、後醍醐天皇の宸翰…

永井荷風にも接触していた伊藤武雄

伊藤武雄は、永井荷風にも色々教えてあげていたらしい。『断腸亭日乗』によると、 昭和9年8月26日 晡時伊藤武雄といふ人来り余が旧著下谷叢話百廿六頁中の記事につきて教へらるゝ所あり(瓦雞鳥居氏明治廿三年二月九日歿。法名大保院雄道瓦雞居士。墓在谷中…

金雞学院講師の伊藤武雄

亀井俊郎『金雞学院の風景』によると、同学院の講師であった伊藤武雄の講義内容は、「古事記、日本書紀、万葉集、神器相承論、木下順庵の教学、洗心洞箚記、法忍和尚伝、松本烏涯、興言論、元和偃武以来の人傑談」。宮内省帝室林野局に勤めて、後に同省諸寮*…

幸田露伴を取り巻くムー大陸信奉者

「古本邪鬼」こと横山茂雄氏が大塚英志氏と対談を行っていた*1。 横山 (略)僕がやってきたことを人に説明するのはなかなか難しいかもしれない。本業は英文学なんですけれど、オカルティズムについては十代後半、現場に足をつっこんでいまして。十九世紀に…

森銑三の畏友にして掃苔家の伊藤武雄

伊藤武雄も紛らわしい名前である。満鉄の調査屋や独文学者に同名の人物がいるが、森銑三が畏友と呼ぶ*1人物も伊藤武雄である。森の『思ひ出すことども』によると、 なほ『日本及日本人』に、人物に関する短篇を発表したりしたところから、それが機縁となつて…

アトランティス大陸と四方田犬彦

『図書』の岩波新書創刊70年記念号で、四方田犬彦氏が『失われた大陸アトランティスの謎』(E・B・アンドレーエヴァ/清水邦生訳)について書いている。 ソ連の科学啓蒙読みもの。プラトンの『共和国』におけるアトランティス大陸の描写にはじまり、ムー大…

有島武郎の住所録に三浦関造の名前

有島武郎の「住所録手帖」に藤澤親雄や市河彦太郎の名前があることは、昨年5月2日に紹介した。改めて見てみると、秋田雨雀、井箆節三*1、松岡虎男[ママ]麿*2、中戸川吉次[ママ]*3、沖野岩三郎、岡田道一*4、田山花袋、生方敏郎*5、竹久夢二、望月百合*6とい…

高村光太郎の音痴に驚く酒井勝軍

酒井勝軍について、相馬黒光(一昨年4月5日参照)、竹久夢二(9月11日参照)との意外な関係に続いて、高村光太郎との関係も発見した。 高村の「回想録一」*1によると、 青年になつてからも、本郷の中央会堂の椽の下のところでやつてゐた酒井勝軍のもとに通つ…

 「銀シャツ党」首領ペリーと古賀政男の弟古賀治朗

ナチスのアメリカ版「銀シャツ党」の首領にペリーという男がいた。三浦関造が在米中に出会っていたらしい*1が、古賀政男の弟治朗も接触している。 眞崎甚三郎の日記*2によると、 昭和15年8月29日 古賀九時半に来訪、米国より帰朝し其の状を報ず。米国には神…

人相見(にんそうみ)船井梅南

船井梅南を『木下杢太郎宛知友書簡集 下』で奇跡的に発見。 河合錦子(神戸市北長狭通五ノ一九)の昭和2年1月5日付け書簡に、 それは船井梅南といふ人相見、昨年の六月ニ精神病をなほして上けました、其後東京へ帰つて自分か無心ニなつて念すれハ其人ハ自分…

上海に渡る前の三浦関造の動向

神之日本社の中里義美の「神日本日誌」に、上海に渡る前の三浦関造の名前を発見。昭和13年から20年にかけての三浦の具体的な動向は不明だったが、少しずつ判明してきた。 昭和13年9月29日 三浦関造氏来訪社長と要談 14年3月23日 三浦関造氏来訪 三浦は、神日…

神乃日本社に結集したトンデモない人達

戦前のトンデモ好きの弁護士というと鵜澤総明*1や三文字正平*2などがいる。神乃日本社々長を務めた中里義美もその一人であろう。同社の顧問・評議員の一部を抜き出してみると、 顧問一條實孝(公爵) 山本英輔(海軍大将) 小磯國昭(陸軍大将・前拓務大臣)…

その後の島津治子

不敬事件を起こした島津ハル(治子)に関するピンクの井上章一先生の『狂気と王権』については、6月9日に言及したところである。同事件については、保阪正康氏も『サンデー毎日』9月14日号で「昭和史の大河を往く」の「第9部華族たちの昭和史(16)」として…

オタどんと書物奉行の“爆笑ト問題”

オタどん 誕生日おめでとう。 書物奉行 ありがたう。 オタどん いくつだっけ、アラフォーかすら? 書物奉行 ほっといて(笑)。わすのことよりも、岩波新書は創刊70周年だすね。 オタどん そうそう70年前の11月20日、クリスティー著、矢内原忠雄訳の『奉天三…

酒井勝軍と富士山に登る竹久夢二

同時代に生きていれば、どんなに意外な組み合わせの人物の出会いがあっても不思議ではないだろう。なんせ、大東亜図書館学の書物奉行氏と大東亜トンデモ学のオタどんが、リアルで遭遇したことがあるぐらいだからね(笑 さて、明治時代に出会っているこの二人…

 三浦関造と神智学

三浦関造と神智学の出会いがいつだったのか、難しい問題である。しかし、想像していたよりも、早かったことが判明した。三浦は石田知治の『第三帝国』*1に何回か執筆しているが、「神秘と星学(上)」(78号、大正5年11月15日)によると、 ブラバツキーが唱…

 瀧川辰郎の生没年

お待たせ(?)しました。 「青桃」氏の教示により、調べてみると、笠井鎮夫『日本神異見聞傳』(山雅房、昭和49年2月)126頁に、瀧川辰郎は終戦直後(昭和二十一年六月)に急逝したとある。今のところ、新聞、人名辞典、著作権台帳などでこの記述の確認はで…

 戦前の心霊研究家瀧川辰郎

大正6年1月に創刊された大本教の機関誌『神霊界』。浅野和三郎が主筆兼編輯長となったこの雑誌に、瀧川龍舟こと瀧川辰郎は何回か執筆している。「国体の精華(一)」(84号、大正8年4月15日)、「大本の鎮魂とキリストのミラクル 大本信者の聖書研究」(135…

 猫猫先生の天敵だった岡田道一博士

昭和17年10月7日、日本国語会の理事37人選任。葦津正之、市村瓚次郎、大西雅雄、小笠原長生、岡田道一、鬼塚明治、斎藤晌、斎藤忠*1、島田春雄、東條操、林古渓、久松潜一、松尾捨治郎、森本忠、保田與重郎といった名前がある。その他、作家としては太田正雄…