神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2022-01-01から1年間の記事一覧

『姫路の史蹟』(昭和15年)を書いた兵庫の郷土史家島田清ーー昭和戦前期における「観光コース」の使用例ーー

島田清『姫路の史蹟:特ニ増位観光コースの史蹟』は、平安蚤の市で200円で買ったのかな。昭和15年2月3日に姫路商工会議所で行った講演の概要のようだ。目次を挙げておく。 未知の人物だが郷土史家と思われる島田清や「観光コース」という用語に惹かれて、購…

昭和7年桑原武夫が顧問を務めた大阪高等学校仏蘭西科学会の『La Science』

先日の「たにまち月いち古書即売会」で、厚生書店の棚から見慣れぬ雑誌を発見。『La Science』4号(大高仏蘭西科学会、昭和7年?*1)で、112頁、500円。巻頭に桑原武夫教授「感想」が載っていたので、買ってみた。国会図書館サーチでは、ヒットしない。ただ…

下鴨納涼古本まつりの最終日に福沢諭吉『京都学校の記』(書籍会社、明治5年?)を拾う

今年も無事下鴨納涼古本まつりが開催された。今回は書物蔵氏と森洋介氏が後半に上洛された。私の方は、初日から参戦しているので既にお腹一杯であったが、最終日に最後の最後にのぞいた三密堂書店の特価本コーナーで驚くべき1冊を見つけた。500円。 冒頭の写…

古書柘榴ノ國で井上女神が創立した神九図之会の10周年記念誌『神九図』(昭和55年)を発掘

今年も下鴨納涼古本まつりが始まりました。シルヴァン書房が参加しているので、てっきり寸葉さんこと矢原さんが絵葉書を出品していると思いきや、不参加であった。ヲガクズさん(@wogakuzu)の情報によると、「下鴨は卒業」されたらしい。そう言えば、寸葉さ…

玄洋社役員・社員の公職追放一覧ーー嵯峨隆『頭山満』(ちくま新書)への補足ーー

一時期福岡市には出張で行くことが多く、帰りに福岡市美術館、福岡県立美術館や古本屋の葦書房には必ず寄ったものである。しかし、玄洋社記念館に寄る機会がないまま同館は無くなったので、惜しいことをしたものである。 さて、昨年10月ちくま新書から嵯峨隆…

『児童百科大辞典』完結で賑わう玉川学園出版部と京都の書道家多和格

玉川大学出版部のホームページで「会社情報 - 玉川大学出版部」を見ると、昭和4年玉川学園出版部として発足し、昭和7年日本で初めての子ども向け百科事典『児童百科大辞典』(全30巻)を刊行したことが書かれている。『児童百科大辞典』は、今年が創刊90周年に当…

明治44年小川一眞が撮影した少女小宅﨑子ーー岡塚章子『帝国の写真師小川一眞』(国書刊行会)刊行ーー

岡塚章子『帝国の写真師小川一眞』(国書刊行会、令和4年4月)が刊行された。日本写真史も一時期関心があったので、小川の名前は知っている。しかし、詳しいことは知らないので読んでいるところである。小川がどういう人物かは、本書の「はじめにーー写真メデ…

昭和8年竹中郁から川西英に贈られた詩とはーー小磯記念美術館で開館30年特別展「竹中郁と小磯良平」、神戸ゆかりの美術館で特別展「川西英」を開催予定ーー

久しぶりに小磯記念美術館に行ってきました。お目当ては、特別展「秘蔵の小磯良平ーー武田薬品コレクションから」に出品されている薬用植物画である。薬用植物学を多少かじったこともあって、小磯の作品の中でも好きな画である。 美術館で、次の特別展は開館30…

『和紙談叢』第1冊(澄心堂、昭和12年)を編集した後に消えた謎の奥本正人ーー向日市文化資料館で企画展「『紙漉村旅日記』が語る和紙と時代」開催中ーー

壽岳文章は平成4(1992)年没。今年が、没後30年に当たる。そのためか幾つか壽岳関係の出版・展覧会を目にする。『民藝』7月号(日本民藝協会)は、特集「寿岳文章と民藝運動」である。本誌は、壽岳の孫弟子に当たる中島俊郎先生から御恵投いただきました。ありが…

坪内逍遥は「沙翁」を「シヤヲウ」と読んでいたーー早稲田大学坪内博士記念演劇博物館職員の平塚義角から岡山の教員花田一重宛葉書からーー

星槎グループ監修、飯倉洋一・日置貴之・真山蘭里編『真山青果とは何者か?』(文学通信、令和元年7月)260頁に参考文献として、大山功『真山青果:人と作品』(木耳社、昭和53年12月)が出ている。この演劇評論家大山の経歴は、『20世紀日本人名事典』(日外アソ…

昭和32年11月2日奈良女子大学の文化祭で講演「西洋文学と日本」をした桑原武夫

平安蚤の市で入手した奈良女子大学の学生達による北海道旅行の計画書についての記事「昭和32年奈良女子大学家政学部被服科の女学生が旅した北海道ーー山本志乃『団体旅行の文化史』(創元社)を使うーー - 神保町系オタオタ日記」は、多少評判が良かったようだ。…

山口瑞穂『近現代日本とエホバの証人』(法藏館)でも活用された小林昌樹編『雑誌新聞発行部数事典』(金沢文圃閣)

山口瑞穂先生の『近現代日本とエホバの証人:その歴史的展開』(法藏館、令和4年2月)103頁の註に小林昌樹編・解説『雑誌新聞発行部数事典ーー昭和戦前期 附.発禁本部数総覧』(金沢文圃閣、平成23年12月。以下『事典』という。)*1が出てきた。 (27) 発禁処分と…

大正末期に松本幸四郞や宝塚少女歌劇の公演を主催した都ホテル内のアートクラブとからふね屋印刷所

三密堂書店をのぞいてきた。店内で特価200円の『アートクラブ第十二回例会松本幸四郎公演会』の冊子を発見。都ホテル内のアートクラブが大正15年11月29日岡崎の京都市公会堂で主催した松本幸四郎公演会の演目と脚本の一部(?)を掲載した31頁の小冊子である。…

昭和32年奈良女子大学家政学部被服科の女学生が旅した北海道ーー山本志乃『団体旅行の文化史』(創元社)を使うーー

山本志乃『団体旅行の文化史:旅の大衆化とその系譜』(創元社、令和3年9月)135頁は、明治期に男子から女子へと広がった修学旅行の例として奈良県女子師範学校を挙げている。奈良県師範学校に女子部が開設された明治35年の翌年大阪の内国勧業博覧会に出かけた…

文庫櫂にあった柳田國男『遠野物語』初版の限定番号は何番だったのか?

逃した獲物は大きかった。文庫櫂のガラスケース内にあった柳田國男『遠野物語』の初版は、店で売れなかったのでヤフオクに出されて売れたという。店にあることは以前から聴いていたが、手が出ない値段だろうし、今更『遠野物語』の初版を見ても新知見を得ら…

第4代東洋大学学長境野黄洋旧蔵の村上専精『仏教統一論』(金港堂、明治34年)を発見!ーーオリオン・クラウタウ編『村上専精と日本近代仏教』(法藏館)に寄せてーー

オリオン・クラウタウ編『村上専精と日本近代仏教』(法藏館、令和3年2月)では、複数の論者が村上『仏教統一論第一編大綱論』(金港堂、明治34年7月。以下単に『仏教統一論』という。)及び境野黄洋「仏教統一論を読みて」(以下「批評」という。)収録の『仏教統一論…

昭和10年3月坪内逍遥の葬儀に伴う妻坪内センから岡山の教育者花田一重宛礼状

岡山の教育者・郷土史家であった花田一重宛書簡群の中でも、ひときわ異彩を放つ黒枠の封書である。昭和10年3月4日付け(封書の消印は同月8日)の坪内センからの礼状が入っていた。センは、同年2月28日に亡くなった坪内雄蔵(逍遥)の妻である。逍遥の葬儀告別式…

『公職追放に関する覚書該当者名簿』から漏れた井上秀日本女子大学校校長

平安神宮古本まつりでは、色々拾えました。最も驚いたのは、不死鳥BOOKSの200円均一箱から見つけた本。しかし、出し惜しみして今回は汎書店の100円・200円台から拾った非売品の『井上秀伝』(桜楓会出版・編集部、昭和48年4月)の紹介にしよう。初日から出てい…

太田喜二郎人生最後の年賀状ーー津崎信子宛年賀状からーー

『近代文化人ネットワーク 太田喜二郎の周辺』(京都大学人文科学研究所みやこの学術資源研究・活用プロジェクト、令和3年)を頂きました。ありがとうございます。特に洋画家である太田が受け取った知人・友人からの手紙の封筒に記された差出人の署名部分を貼…

昭和33年志賀直哉から岡山の教育者花田一重への葉書

これも岡山の教育者・郷土史家だった花田一重宛書簡群の一つ。昭和33年2月12日付けで、文面は受け取った手紙を「学校図書の方」に回送したという内容である。最初は 「学校図書」を「学校の図書館」の意味と思い、志賀で「学校」と言ったら学習院のことかと思ってし…

明治42年石原忍が横浜正金銀行ロンドン支店の氏家洗耳宛に送った故医学士小川三紀記念奨学資金計画の案内葉書

今年も平安神宮前で古本まつりが開催された。シルヴァン書房も出店し、寸葉品(絵葉書など)も出品されていた。絵葉書を数枚購入したので、そのうち1枚を紹介しておこう。明治42年石原忍が横浜正金銀行ロンドン支店内の氏家洗耳宛に送った年賀状である。石原は…

中支派遣軍に応召中の池田彌三郎から岡山の郷土史家花田一重宛の絵葉書

中支派遣軍三枝部隊片山隊で応召中の池田彌三郎から岡山の六条院町の花田一重宛軍事郵便。これも、「戦時下におけるアチックミューゼアムの宮本常一と岡山の郷土史家花田一重ーー須藤功『宮本常一』(ミネルヴァ書房)に寄せてーー - 神保町系オタオタ日記」で紹…

旅する巨人宮本常一と七三一部隊に協力した亀井貫一郎の聖戦技術協会

須藤功『宮本常一:人間の生涯は発見の歴史であるべし』(ミネルヴァ書房、令和4年5月)121・122頁に (略)澁澤邸に泊まっていた[昭和二〇年六月]一一日に、日本銀行総裁になっていた澁澤敬三から聖戦技術協会へはいるように勧められた。陸軍の仕事で農村視察す…

書砦・梁山泊の島元健作氏から貰った開かずの日記に隠された謎の暗号文ーー暗号を解ける日本のホームズはいるか?ーー

数年前に書砦・梁山泊京都店の島元健作氏から鍵のかかった日記をいただいた。鍵がついてなくて、中は見られなかった。ただ、隙間から見える記述から昭和9年の日記で、旧制第三高等学校の寮歌「紅もゆる~」が書かれていることは分かった。三高の生徒の日記なら…

皇道世界政治研究所の賛成者佐藤鐵太郎海軍中将が会長を務めた財団法人奉仕会の機関誌『奉仕の友』

『奉仕の友』114号(財団法人奉仕会、昭和17年3月)。これも平安蚤の市でナンブ寛永氏の200円均一箱から入手。数冊あったが、会長の佐藤鐵太郎海軍中将の追悼記事が載る本号だけ購入。追悼文としては、佐藤と海軍兵学校で同期だった鈴木貫太郎海軍大将・男爵や…

戦時下におけるアチックミューゼアムの宮本常一と岡山の郷土史家花田一重ーー須藤功『宮本常一』(ミネルヴァ書房)に寄せてーー

須藤功『宮本常一:人間の生涯は発見の歴史であるべし』(ミネルヴァ書房、令和4年5月)が刊行された。それで、平安蚤の市で入手した常一の葉書を思い出した。岡山の郷土史家だった花田一重宛書簡群の1枚である。昭和16年11月12日付けでアチックミューゼアムの…

山川健次郎京都帝国大学総長と平瀬貝類博物館ーー『山川健次郎日記』原本を持ってるのは、誰だ?ーー

尚友倶楽部編『山川健次郎日記:印刷原稿第一~第三、第十五』(芙蓉書房出版、平成26年12月)なる本が出ていたので、読んでみた。驚くべき記述が幾つかあった。そのうち千里眼事件に関する記述は、小宮京・中澤俊輔「新史料発見 会津人が駆け抜けた近代日本 帝…

大正11年関西大学大学部経済科を卒業した吉川太三郎のその後ーー関西大学博物館で大学昇格100年記念展を開催中ーー

1922(大正11)年6月5日専門学校であった関西大学は、大学令に基づく大学として認可された。今年が大学昇格100周年ということで、関西大学博物館で記念展示会「真理の討究 学の実化」を開催中。観覧してきたが、関西大学初の女子学生(聴講生)である北村兼子*1のS…

本野精吾が設計した暁烏敏による幻の図書館「大日本文教院」ーー小林昌樹「宗教と図書館の近代史」への補足ーー

『近代出版研究』創刊号(皓星社発売)が大成功した近代出版研究所長小林昌樹君の「宗教と図書館の近代史」が、昨年2月から3月まで『佛教タイムス』に連載された。内容は、「小林 昌樹 (Masaki KOBAYASHI) - マイポータル - researchmap」の「MISC」で見ることができ…

『児童読物之研究』(葺合教育会児童愛護研究会、大正12年)の活用ーー今田絵里香『「少年」「少女」の誕生』(ミネルヴァ書房)への補足ーー

今田絵里香『「少年」「少女」の誕生』(ミネルヴァ書房、令元年10月)は、序章によると、「本書は、少年少女雑誌の誕生と変遷、および、少年少女雑誌における「少年」「少女」に関する知の誕生と変遷を明らか」にし、「その背景を考え」たものである。このう…