神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2011-08-01から1ヶ月間の記事一覧

紅玉堂主人前田隆一

大正14年4月20日本郷燕楽軒で開かれた尾山篤二郎『草籠』出版記念会については、「関根喜太郎(荒川畔村)と北原放二」(8月24日)に書いたところであるが、出席者の一人である前田紅玉堂主人というのは、「雀隠れ日記」の「初秋」(http://d.hatena.ne.jp/y…

昭和版可否茶館の閉店

8月18日付朝日新聞東京版*1によると、明治21年に開業した日本最初の喫茶店「可否茶館」の流れをくむ、阿佐ケ谷ゴールド街2階の「可否茶館」が、8月末に閉店するという。日本最初の喫茶店とのゆかりは、昭和42年5月開店当初の共同経営者の一人が、明治の「可…

阿佐ヶ谷のモナコと徳田耕作

光成秀子『戸坂潤と私』(晩聲社、1977年10月)に昭和5年のこととして、 阿佐ヶ谷駅北口前の「モナコ」は、羽目板にコールタールを塗った簡単な外装で、ステンド・グラスの小窓が二つついていましたが、特別興味を持ったのは入口のドア一ぱいの豪華なステン…

昭和初期の仙台カフェー文化

『仙臺文化』創刊号(2005年5月)、2号(同年11月)に連載された、「マッチラベルで見る昭和初年 見つけた!仙台の昭和モダン」に登場したレストラン・喫茶店・カフエー・バーは、 紅谷、早坂フルーツパーラー、フルーツパーラーやま平、ヒロセ喫茶店、仙台…

小野忠重と本所図書館主任山田正佐(その2)

「小野忠重と本所図書館主任山田正佐」(8月1日)で言及した小野と山田だが、小野の「本の裏がわ」(『書窓』6巻1号、昭和13年6月)によると、山田は小野の畏友だったという。 この蔵書票は版画家として喜びの一つであるらしいが、私のものは、版画家らしい…

天津教と安江仙弘

ウィキぺディアの安江仙弘の項には書かれていないが、安江も竹内文献の信奉者の一人であった。『真崎甚三郎日記』によると、 昭和10年4月19日 安江中佐約束通来訪しあり。水戸竹内家宝蔵の古物神代文字等に就て研究し、日本の建国に就て最早一点の疑ふ余地な…

素人社と鳴海四郎こと林田茂雄

小谷野敦氏のブログ「猫を償うに猫をもってせよ」の「久米正雄伝補遺」によると、『現代文藝』昭和2年3月号(素人社)の「文壇近頃のこと(二)久米正雄氏剽窃事件批判」の出席者は、安藤盛・松本清太郎・鳴海四郎・金兒農夫雄の四人だったという。このうち…

松原至文と高楠順次郎

戦時中における高楠順次郎の動向が窺える記述が真崎甚三郎の日記にある。 昭和17年3月15日 松原政(ママ)遠十四時半に来訪、北海道の野口喜次郎氏、日本学研究所を設けんとする意あるにより同氏を引見すべく予に問ふ。予は之を諾す。 4月26日 松原致遠九時…

関根喜太郎(荒川畔村)と北原放二

滝沢博夫『評伝尾山篤二郎』によると、尾山の『草籠』出版記念会は、大正14年4月20日本郷燕楽軒で開催。出席者は、佐佐木信綱、窪田空穂、北原白秋、吉植庄亮、山崎斌、前田紅玉堂主人、水町京子、杉浦翠子、西村陽吉、岡本かの子、岡山厳(ママ)、北原放二…

小野忠重が勤めた南洋団体連合会

小野忠重が昭和16年に勤めていたという南洋団体連合会について、概要を書いておこう。 南洋団体連合会 創立:昭和15年8月 目的:会員団体相互の提携を緊密にし政府との連絡を図り以て我国の南方進展に貢献すること 事業:一.懇談会、研究会等の開催 二.他の…

大日本帝国と風力発電

真崎甚三郎日記に岩下章一という日本における風力発電史上忘れられたと思われる研究者が出てくる。 昭和18年2月23日 古賀*1十二時半に来訪、岩下章一なる者、二十年苦心の結果、風力にて蓄電するものを発明し、海軍に兵器に採用せられたりとて、高浦*2の代り…

東北おっぱいいっぱい展開催中

日本出版クラブ会館(新宿区袋町6)の1階ローズラウンジで、「東北おっぱいいっぱい展」が昨日から開催中。8月31日(水)までの12時−18時(最終日は16時まで)。チャリティー俳画展で、東北の赤ちゃんに「粉ミルク」を贈ろうという俳人、歌人、作家、写真家…

黎明会の解散時期(その2)

従来大正9年8月とされている黎明会の解散時期について、同年10月の段階でも存在していたと「黎明会の解散時期」(2008年5月19日)で書いた。新たに、9年10月7日付読売新聞5面にも、黎明会に関する記事を発見した。「福田、吉野両博士らの/黎明会亦た起つ/…

福建省独立を画策した角田清彦の経歴

内藤順太郎と共に福建省独立工作に携わった角田清彦の経歴については、「剣山に隠されたソロモン王の秘宝をめぐる怪しい人達(その2)」(2007年4月5日)で少し触れたことがある。より詳しい経歴が『国家主義系団体員の経歴調査(一)』(『思想資料パンフ…

日本青年外交協会と理事長原勝

『婦人公論』編輯長だったという八重樫昊(筆名・林秀)が常務理事を務めた日本青年外交協会は、昭和13年3月に創立された。協会の概要は、『昭和十八年版日本文化団体年鑑』によると、 日本青年外交協会 所在地:東京市麹町区六番町三ノ四 役員:理事長原勝…

小谷野とんに挑む

小谷野敦『久米正雄伝』189頁に、大正11年の『主婦之友』に連載された『破船』について、大正7年12月28日付読売新聞に明後日から大阪毎日新聞で連載される旨の予告が載ったことが書かれている。また、同紙での連載は実現せず、翌年1月5日から有島武郎の「小…

広津和郎と本郷の八重山館

『中央美術』大正9年10月号に掲載された鍋井克之の日記8月10日の条によると、鍋井は妻が病気で帰郷したため、広津から譲ってもらった部屋に下宿しているが、関西に旅行している間に、広津が戻ってきていて、広津は隣室の友人の部屋と鍋井の部屋とを往来して…

民族研究会幹事内藤順太郎の経歴

民族研究会の常任幹事だった内藤順太郎だが、『国家主義系団体員の経歴調査(一)』(『思想資料パンフレット特輯第二四号』。司法省刑事局、昭和16年4月)によると、 内藤順太郎 生年月日:明治10年5月5日 本籍地:熊本市横手町1031番地 現住所:東京市赤坂…

坪内祐三「日記から 50人、50の「その時」」

坪内祐三氏が平成17年4月2日から18年4月2日まで毎日新聞(東京版)で連載した「日記から 50人、50の「その時」」。取り上げられたのは、 夏目漱石、三島由紀夫、青野季吉、志賀直哉、野上弥生子、森田草平、高野悦子、柳田国男、中島健蔵、山田風太郎、…

カール・ハウスホーファーと太平洋地政学

「古本夜話119」は、「ハウスホーファー『太平洋地政学』と太平洋協会」。 地政学について、私の過去のエントリーを振り返ると、・日本地政学=皇国地政学については、 「旺文社社長赤尾好夫とクラブシュメールの宴の日々」(2006年5月9日) 「旺文社社長…

金児農夫雄の素人社と『現代文藝』

西村陽吉等『第一短詩集』(素人社、大正15年3月)にある金児農夫雄の「小伝」によると、 金児農夫雄 明治27年3月北海道余市町生 札幌中学在学中、家産傾き自活の道を得んとして師範学校に転ず 出てて塩谷小学校を振出しに、小樽稲穂女子、同堺等の小学校を…

『婦人公論』編集長八重樫昊

中央公論社の社史から八重樫昊に関する記述を拾うと、 昭和5年11月 八重樫昊、婦人公論編集主任となる 7年6月 八重樫昊、婦人公論編集部長となる 10年2月 婦人公論編集長八重樫昊、事業部長に転ずる 八重樫はこの後、同社を辞めたようで、同姓同名の人が、昭…

世界紅卍字会員の今小路了円

真崎甚三郎の日記には、世界紅卍字会の関係者が数名出てくるが、今小路了円という坊さんも出てきた。 昭和14年12月15日 桑野淳城、今小路了円十三時半に来訪、桑野は天津本派本願寺の主任にして田代夫人の紹介による者、今小路は紅卍字会の会員にして前者の…

蘇る東電OL殺人事件の記憶

昔のブログをほじくりだした。 渋谷円山町・東電OL殺人事件 2005年3月10日 昨日の3月9日は、ある女性の命日だった。 彼女の名前は、渡邉泰子。 平成9年3月8日深夜に殺された東京電力社員だ。毎日、殺人事件が起きている中で、彼女のことは、忘れ去ら…

ヤング・ブックメンズ・ソサェティの概要

ヤング・ブックメンズ・ソサェティ*1については、「長嶋亜希子の祖父西村陽吉とヤング・ブックメン・ソサエティ」(4月23日)で言及したところであるが、『現代出版業大鑑』(現代出版業大鑑刊行会、昭和10年8月)の「第一篇総観」の「一四ヤング・ブツクメ…

詳細年譜の書籍化

詳細年譜を書籍化したものというと、漱石、鴎外、葉山嘉樹、大杉栄などがあるが、鶴見祐輔も出ていた。 石塚義夫『鶴見祐輔資料』(講談社出版サービスセンター、2010年12月)だが、「序」によると、国会図書館憲政資料室の鶴見祐輔文書に寄贈予定の「鶴見祐…

第一書房の長谷川巳之吉と帝国図書館司書官林繁三

『図書館雑誌』昭和12年7月号の「彙報」欄で、第一書房の長谷川巳之吉が林繁三の紹介で日本図書館協会の特別会員として入会していたことが判明。この林は、『簡約日本図書館先賢事典』によると、 林繁三 はやし しげぞう 1896−1948 1本籍又は生地:福岡、2…

小野忠重と本所図書館主任山田正佐

坪内祐三氏も『週刊現代』の書評でほめてた駒村吉重『君は隅田川に消えたのか 藤牧義夫と版画の虚実』(講談社)。同書によると、小野忠重「回想の藤牧義夫」『藤牧義夫』(かんらん舎、昭和53年)に藤牧が昭和9年「隅田川両岸画巻」を描いたきっかけに関連…