神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2011-07-01から1ヶ月間の記事一覧

秋田雨雀が見た「破船」事件前後の久米正雄

秋田雨雀の日記に、大正6・7年の破船事件前後の久米正雄が出ている。 大正6年2月25日 今日起きてまもなく稲岡の娘さんがきた。散歩に行く約束をしていたので、二人で少し話をしてから夏目さんの墓の方へ行く。今朝、ちよ子は妻といっしょに夏目の墓へ行って…

東京帝国大学附属図書館司書加藤素治=北原放二

「雀隠れ日記」さんが、東京帝国大学附属図書館ネタを投入している→「北原放二」 そこに挙がっている北原放二(本名・加藤素治)司書の同僚について、私の過去のエントリーをまとめると、次のとおりである。増田については、その後、書物蔵「屠れ米英われら…

エロ・グロ雑誌編集の三冠王田中直樹

田中直樹については、武侠社で『犯罪科学』の編集長、四六書院で『犯罪公論』の編集長、実用雑誌社で『犯罪実話』の編集長をしていたことや、文化公論社*1を創業したことが判明している。ネット上には詳しい経歴が出ていないが、「「娯樂雜誌」の編輯・其他…

上海日本近代科学図書館の松井松次

水島治男『改造社の時代 戦中編』に、上海日本近代科学図書館の松井松次が出てきた。『改造』昭和12年10月号に「上海籠城日記」を書いた大和太郎という人物について、 戦争は長引くという。そこで上海在留邦人の生命をまもるため、軍務に関係のない非戦闘員…

『真崎甚三郎日記』にも出てきた篁白陽

篁白陽(本名・若林不比等。川上初枝=若林初枝=内山若枝=日高みほの夫)が昭和11年1月25日満川亀太郎を訪問し、すめら連邦建設運動について語ったと、「篁白陽のすめら連邦構想」(2月15日)で言及した。なんとその前日、篁は真崎甚三郎を訪問していた。…

『二十世紀の神話』を訳した独文学者吹田順助

「古本夜話114」は、 「ローゼンベルク『二十世紀の神話』と高田里惠子『文学部をめぐる病い』」。上村清延と共に『二十世紀の神話』(中央公論社)の翻訳をした独文学者吹田順助について書いてみよう。 「『私の稀覯本』(今井田勲著)から」(2006年1月…

三木清も住んだ本郷館も解体へ

読売新聞東京版連載の「森まゆみのむかしまち散歩」21日分は、「本郷館(文京区本郷6丁目)」だった。 そして明治38年に本郷館ができ、翌年、徳田秋声がその近くに越して昭和18年に亡くなるまで住みました。明治41年には石川啄木が金田一京助の誘いで隣町の…

菊池寛に殴られた上、訴えられた福山秀賢

戦後、ロマンス社などで編集者をしていた福山秀賢について、ちょっこし調べてみた。昭和56年6月20日付読売新聞夕刊によると、 福山秀賢 婦人公論元編集長、大法輪前編集長 19日死去、84才。石川県珠洲市出身。喪主は二男、不二(ふじ)氏。 中央公論社の社史…

自笑軒と号した田端の杉本僖平

木村捨三編『千里相識』(集古会、昭和10年9月)は集古会の会員名簿だが、それを見てたら、 杉本僖平 明治十七年四月十四日生 一出生地:日本橋区伊勢町壹番地 二現在住所:東京市瀧野川区田端町三百四十三番地 三職業:懐石料理 四研究の事項:料理ト茶道 …

「谷崎潤一郎訳『源氏物語』を発禁にしろ」と、小川平吉

小川平吉の日記を見てたら、谷崎訳の『源氏物語』を発禁にしろという運動があったようだ。 昭和14年2月1日 日本社午餐会、源氏物語俗訳禁止に努力する事を議決す。 2月6日 夜浜町蔦毛登に首相秘書太田耕造氏の招宴に臨む。池田、入江、岩田、葛生、横矢等志…

黒光会と里見とん

『松本学日記』に里見とんが出ていました。 昭和10年4月3日 午前十時頃の汽車で鎌倉に行く。大仏裏、藤浪別邸に行く。黒光会員黒板勝美、和田三造、結城素明、辻永、里見弓享、大道、服部、小川の諸君。藤浪与平(ママ)衛君は芝居の大小道具方を商売とせる…

「柴田宵曲翁日録抄」から見たロマンス社の変遷

「柴田宵曲翁日録抄」によると、 昭和22年7月22日 四時頃福山氏来、雑談。原稿紙と写すべき材料とを渡す。 10月1日 (蛇魂氏と)共に市政会館に赴き地下のロマンス社に福山氏を訪ひしも不在要領を得ず。 10月2日 午後ロマンス社に再び福山氏を訪ふ。在り、筆…

慶應義塾図書館の国分剛二と森銑三

慶應義塾図書館の国分剛二については、「慶應義塾の“図書館内乱”」(2007年2月22日)と「慶應義塾図書館の国分剛二と三田村鳶魚」(2007年3月24日)で言及したところである。森清の「日本十進分類法」に対する批判を執拗に繰返し、図書館界にも名を知られて…

立花隆の伯父橘書店の橘篤郎

木村毅『私の文学回顧録』によると、評論家の立花隆は、橘書店の橘篤郎の甥に当たるという。この橘は、『昭和十年版全国書籍商総覧』によると、 受験と教育社、橘書店、陸海軍受験生社 橘篤郎 [住]日本橋区通二丁目四 明治38年2月8日 茨城県水戸市松本町二四…

世界紅卍字会後援会でポルターガイスト現象

昭和14年3月20日及び15年6月5日世界紅卍字会後援会で交霊会が行われていたことは大蔵公望の日記に出ていた*1が、真崎甚三郎の日記にも出ている。 昭和15年10月24日 臼井胤正十一時過に来訪、国家の現状を憂ひ、神祇制に依るの外之を救ふ途なしと考へ、全国の…

政界往来社の木舎幾三郎と難波英夫

難波英夫が主幹、支配人を務めた政界往来社は、『日本出版百年史年表』によると、 昭和5年8月1日 政界往来社創業(木舎幾三郎,1896.8.1〜)、創刊。政界関係書出版[昭和26.9.1株式会社に改組] 木舎は、昭和52年2月9日付読売新聞の訃報によると、 木舎幾三…

国際人藤澤親雄がトンデモに至る道

小田光雄「古本夜話113」は、「藤沢親雄、横山茂雄『聖別された肉体』、チャーチワード『南洋諸島の古代文化』 」。小田氏が言及している大塚英志『偽史としての民俗学―柳田國男と異端の思想』について一言。大塚氏は、『柳田國男伝』から「大正十年(一…

ポテトウプロダクシヨンの久米正雄とは?

昭和2年2月10日付読売新聞の「映画界片々」によると、 ポテトウプロダクシヨンの久米正雄氏青森とかの某富豪の資金提供も空に終り結局独立独行を余儀なくされ、こゝに映画社を創立、先づ第一回作品として売出したのが先日以来問題の『地蔵経(ママ)由来』。…

政界往来社時代の難波英夫

「雀隠れ日記」では「マルクス書房」のエントリーなど、最近よく出てくる難波英夫。難波と言っても、「難波弘之なら知ってるが・・・」と思ってしまった、オタどん(汗)。 さて、難波は菊池寛の紹介で政界往来社に勤めたそうだが、真崎甚三郎の日記にその時…

反ユダヤ主義を貫き通した四王天延孝

小田光雄「古本夜話112」は「 四王天延孝『猶太思想及び運動』と内外書房」。四王天のこの本の出版祝賀会が昭和16年8月に開かれたことが、真崎甚三郎の日記に見える。 昭和16年7月17日 渡辺十二時半に来訪、来月四王天の著書出版の祝賀会を行ふにつき、予…

里見とん『愛と智と』−事前検閲の顛末−

佐藤卓己『言論統制』には、『新女苑』の主筆だった内山基による回想に基づいて、林芙美子「凍れる大地」への事前検閲について書かれている。この内山の回想には続きがあって、林の分が済んだ後、里見とんの連載「愛と智と」の四回目について、鈴木庫三から…

真崎甚三郎日記に見る古賀政男・治朗兄弟と酒井勝軍

小田光雄氏の「古本夜話110」は、「酒井勝軍と内外書房『世界の正体と猶太人』」。 僭越ながら補足させていただくと、 ・酒井の思想遍歴については、久米晶文「神々の狂宴 酒井勝軍と酩酊の日本近代史」という詳細な研究があり、近く単行本化(新人物往来…

駒村吉重『君は隅田川に消えたのか 藤牧義夫と版画の虚実』(講談社)と洲之内徹

今朝の「日曜美術館」に宮城県美術館の洲之内コレクションが出てきた。ところで、駒村吉重『君は隅田川に消えたのか 藤牧義夫と版画の虚実』(講談社)の第8章は「「気まぐれ美術館」の人」。洲之内ファンの人は読んでね。

赤堀又次郎と田中稲城

「書物蔵」氏が言及している赤堀又次郎という人物は、わしも「2008年10月29日」に三田村鳶魚と交遊のあった一人として言及していた。そのほか、どこかで見たと思っていたら、市島春城の日記であった。更に、森銑三『明治人物夜話』所収の「斎藤精輔氏の自伝…

峰村教平と創立期の璽宇

峰村教平の篁道大教は、昭和16年、世界紅卍会道院の関係者で心霊研究家の小田秀人、大島豊、道院信者で棋士の呉清源らのグループが合流した際、璽宇に改称されたという*1。その年の状況が真崎甚三郎の日記*2に出ている。 昭和16年2月19日 小田秀人十三字[マ…

広津和郎の本郷八重山館時代は、大正9年から

広津和郎の従来の年譜では大正10年からとされている本郷八重山館時代については、大正9年ではないかと推測していた(6月27日参照)が、読売新聞「よみうり抄」の広津に関する記事で確認できた。 大正9年7月27日付 市外中野町から同じく代々木初台五九八…