神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2008-06-01から1ヶ月間の記事一覧

 独歩の墓の建立時期

大正元年9月1日付け小杉未醒の田山花袋宛書簡によると、 拝啓 故国木田独歩の墓碑未建設の事に及ばざるは同人等の遺憾に存ずる処に候 此度小生等思ひ立ち右墓碑九月末日までを期して建設仕度企申候(略)其結果大兄に金拾円の御寄付を乞ひ申候(略) 大正元…

 宮崎湖処子最愛の弟子だった玄洋社々員横山雄偉

玄洋社の社員で、ドン・ブラウンや高見順とも親しかった横山雄偉という人物については、昨年7月6日や7月7日に言及したところである。その横山の前半生が多分判明した。 宮崎湖処子の明治42年(推定)11月3日付け田山花袋宛書簡によると、 (略)本日殊に得貴…

巌谷小波を追いかけてきた男たち

小谷野敦『猫を償うに猫をもってせよ』(白水社)所収の「アンデルセンの同性愛」で、巌谷小波の四男大四が父の生涯を描いた『波の跫音−巌谷小波伝』に出てくる同性交際研究会について言及されている。この会のことが、三村竹清の日記に出てきて、面白いこと…

心象会の催眠術実験

松村介石「心象研究会を回顧して」(『変態心理』催眠術革新号)を見てたら、 第一回例会は同年[明治41年]五月二十一日、本郷壱岐殿坂の上宮教会に於て開催し、予の開会の辞に次で平井氏の講演あり、村上氏のサイコメトリー、コツクリ等を試みる者あり、最後…

 オタどんの懸案事項

森氏がコメントで懸案事項について書いていたのを読んで、わしも自分の懸案事項を思い出した。 鶴見太郎氏の解説付きで岡茂雄『本屋風情』(中公文庫)が最近復刊されたけど、このタイトルの由来である事件が起きた柳田國男を慰労する会の開催年月日が、わし…

 タラコン湯と平福百穂

平福百穂の大正12年(推定)5月1日付け富木庄助宛書簡*1を見てたら、 たつ*2殿 常服用タラ根湯相勧め申候 タラの根を精製したるものにて、薬種屋ニあり。胃腸のあしきものニ特効ある由、是非々々御試用の事。 ん、「タラ根湯」!? どこかで、聞いたことがあ…

 巣鴨プリズナーも最後は神頼み?

『続・巣鴨日記 笹川良一と東京裁判1』(中央公論新社、2007年12月)306〜308頁に、年月日も宛先も不明な笹川の獄中からの手紙が掲載されている。そこには、神田区神保町三ノ十一興風書院発行の書籍を至急購入してくれと、31冊の書名が挙がっている。この一…

戦時下の極楽とんぼ(その11)

戦時下に里見とんがあやす〜ぃことをしていた。 高見順の日記によると、 昭和20年5月16日 今日は終日店番を勤めた。里見紝、長田秀雄氏等が来た。里見さんはもう六十近いはずだのに艶々した顔色をしていて、小柄な身体に精力が漲っている感じだ。弁当を持っ…

渋川驍が東大図書館を辞めた理由

渋川驍(本名・山崎武雄)は、昭和5年4月から東大附属図書館に勤務しているが、戦後間もなく辞めたようだ。 高見順の日記によると、 昭和20年10月4日 渋川君来る。林房雄氏の家へおくやみに行った帰りだという。渋川君はこんど帝大図書館をやめてひとりで商…

 中田邦造と折口信夫

戸板康二『折口信夫坐談』にクニゾウたんが出てきた。中公文庫にもなっている本だから、既に誰かが紹介済みかもしれないが、一応アップしておこう。 ○八月十五日の朝、自転車で、先生の家にあがった。(略) (略) *沖縄が帰ってくれば別だが、そうでなけ…

 福来友吉と五十嵐光龍の催眠術実験

復刻もある五十嵐光龍『自働療法』(婦女界社、大正9年2月)によると、 催眠状態になつて居る時に、何の位計算が正確に敏捷に出来るかを実験した事がある。それは明治四十一年十月九日に東京の帝国大学で実験したので、被術者は廿五歳位の青年で平素算盤など…

戦時下の極楽とんぼ(その10)

戦時下、里見とんがまた宴会に出ていた。 広津和郎の「戦時日記」によると、 昭和19年8月29日 本日は横浜の南京町にめずらしく豊富な洋食を食べさせる家があるというのでそこに行く日である。間宮君の学生時分の友人で上野健という若い実業家が案内して呉れ…

トンデモバスター島田春雄の父翰への思い

三村竹清の日記に、 大正13年5月24日 朝 塩煎餅をもちて内田魯庵へゆく 松崎天民之たむさくてもうれる話 朝倉無声の本をきりとる癖と同しもの 西洋ニ多き話 島田翰 漢土之大家之書物を私したる事を列記して 自分を弁護せし漢文遺書を或判事ニ出して 自縊せし…

戦時下の極楽とんぼ(その9)

岩波文庫の夏の一括重版(7月10日発売)の一冊に里見とん『極楽とんぼ他一篇』がラインナップ。 そこで「戦時下の極楽とんぼ」シリーズの続きを。津村信夫の日記には、里見も出てくる。 昭和17年8月6日 ペンクラブの夏期大学を一寸覗いてみる。(略)里見…

萩原朔太郎と谷崎潤一郎の別れ

小谷野敦『谷崎潤一郎伝』に、「谷崎は概して礼を失するようなことをしない人だが、朔太郎に対してだけは、妙に礼儀を外しており」とある。しかし、さすがに朔太郎(昭和17年5月11日没)の葬儀には出席していた。 津村信夫の日記によると、 昭和17年5月13日 …

 鴎外全集完成祝賀会と森茉莉

「森茉莉街道をゆく」で『ベスト・オブ・ドッキリチャンネル』人名索引が完成したのを記念して、茉莉ネタを。 斎藤茂吉の日記によると、 昭和14年11月21日 ○午後五時半、鴎外全集完成祝賀会、森潤三郎(牽舟)、マリ、杏奴、類、岩波、小林、佐藤、鈴木三郎…

 大槻憲二と大東亜藝術院

東京メトロ副都心線開通。ということで、今夜の「出没アド街ック天国」は「西早稲田」特集。立石書店、古書現世は登場するかすら(文省堂書店は確実に登場するみたい)。さて、それはともかく。 木下杢太郎の日記に、 昭和18年9月15日 四時木挽町七丁目三統…

ねらわれた学院

三村竹清の日記によると、 大正6年11月29日 山中翁之話に 大学之古典科を出てゝ基教を奉し 青山学院之漢文教師を勤め居る桜井氏とかいへる人あり 予に紹介せんとて此間知人ニ尋ねたるに 近頃岸本某の大[ママ]霊道といふものを信して 家に在りても自分上座に…

 日本国語会創立発起人

平井昌夫『国語国字問題の歴史』で、日本国語会の創立発起人(昭和17年9月28日現在)を見ると、発起人としては、5月25日に挙げた人物以外に、折口信夫、新村出、東條操、時枝誠記、橋本進吉、松井簡治、諸橋轍次の名前がある。その他に面白いものとして…

 食養会と三田村鳶魚

三田村鳶魚の日記に食養会が出てきた。 大正2年11月10日 石塚食養所ノ診断ヲ求メ、河田町教会二炷。 櫻澤如一『石塚左玄』所収の年譜によると、食養会は明治40年11月創立、石塚左玄は42年10月没、その後食養会は大正7年3月に社団法人化。 - 岩波書店の無料の…

大槻憲二と諸岡存

『コレクション・モダン都市文化 第25巻 変態心理学』(ゆまに書房、2006年12月)に東京精神分析学研究所編『阿部定の精神分析的診断』(東京精神分析学研究所出版部、昭和12年1月)が復刻されている。そこに諸岡存(東京精神分析学研究所客員/医学博士)が…

 ピンクの井上章一先生も真っ青!

ピンクのモーツァルトならぬ、ピンクの井上章一先生。『狂気と王権』は昭和11年8月29日、島津久光の孫で、元女官の島津ハルらが不敬容疑で留置された新聞報道から話が始まる。その後は、木戸幸一や牧野伸顕の日記を引用しているが、井上先生が見ていない日記…

 星製薬とダイヤモンド社

最相葉月『星新一 一〇〇一話をつくった人』(新潮社)がいつのまにか、2008年日本推理作家協会賞評論その他の部門賞を受賞していて4冠だった。 同書の87ページによると朝鮮に星製薬の一手販売業者として星光商会という業者が存在したという。伊藤整の『太…

 拓殖大学図書館員牛島軍平

皇道図書館の並木軍平発見!と思ったら、軍平違いだった。青野季吉の日記によると、 昭和20年1月29日 ○労報の動員局長矢野兼三氏、□大の図書館長手島軍平氏と会ふ。斎藤氏、三谷君一緒。吉原の河内楼一室。矢野氏は富山県知事などをした人で、一風変つた肌合…

 朝鮮総督府図書館長荻山秀雄

柳田國男の『炭焼日記』に出てくる萩山四郎(はぎやましろう)が、朝鮮総督府図書館長荻山秀雄(おぎやまひでお)であろうことは、書物奉行氏が一昨年4月16日に解明しているところである。 この荻山の名前を見かけたので紹介。「日本速記協会」の理事に「萩…

夢かうつつか幻のミネルヴァ日本評伝選

ミネルヴァ日本評伝選第二期は平山洋『福澤諭吉』をもって完結。第三期へ突入することとなる。 ラインナップは、 9月刊行予定 手塚治虫 竹内オサム フランク・ロイド・ライト 大久保美春 10月刊行予定 北里柴三郎 福田眞人 力道山 岡村正史 11月刊行予定 陸…

日記から読み解く大東亜図書館学

歴史ってば一体ナニ?といわれたら、オタどんは「真っ当な人間とトンデモないオタクとのバトル」といいたい(・∀・) 最近は、真っ当な文人や政治家の公刊された日記にはまっているオタどん。思いもかけないところで戦時図書館学、書物奉行氏言うところの大…

坪内祐三の大叔父井上泰二まごまごする

三村竹清の日記には、新宿の骨董屋の柳田栄太郎と民俗学者の柳田國男の両方が出てくるので紛らわしい。 今回は國男の方の話。 大正7年11月19日 朝 貴族院官舎柳田へ行く 福*1来春一中卒業故 一高之何れを志願すへきかを定むる為也 柳田君 法学士故尋たるに …

戦時下の極楽とんぼ(その8)

戦時下の里見紝は、宴会に出席してばかりいたわけではなく、島崎藤村の葬儀にも出席していた。 秋田雨雀の日記によると、 昭和18年8月26日 時々雨。雑司谷地域雷鳴。午前九時ごろ青山斎場へ行く。斎場では仏式で式が行われていた。葬儀委員長有島生馬、静子…

『婦人画報』記者列伝(その7)

よい子は「ほげほげ」としてないで、今日は東京古書会館(最寄の駅は神保町又は新御茶ノ水)へ行きませう。 午後1時「モダニスト佐野繁次郎の装幀について+佐野本の集め方」(林哲夫+西村義孝) 午後4時「編集者・国木田独歩と謎の女写真師」(黒岩比佐子…