神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2007-07-01から1ヶ月間の記事一覧

ドン・ブラウンと村井弦斎

横浜開港資料館編『横浜開港資料館所蔵ドン・ブラウン・コレクション書籍目録』を見ていると、ブラウンは、『Hana』を始め、弦斎の英訳書は軒並み所蔵している。その中で、明治37年にニューヨークのセンチュリー社から刊行された吉田正雄訳の『Kibun Daizin…

山田吉彦(きだみのる)とスメラ学塾

小島威彦は、山田吉彦(きだみのる)とのパリでの初対面について、『百年目にあけた玉手箱』第3巻で次のように回想している。 薩摩会館で先ず山田吉彦を訪ねた。ドアをノックすると「アントレ」と返事があったので開けて驚いた。大きな中年男が、一糸も纏わ…

明治37年の睡眠術狂言

明治36年前後には、催眠術ブームがあったという(昨年の7月10日参照)。これもその一つか。 明治37年5月4日 薄晴。六十一度。常盤座水野一座すいみん術狂言。おみね 織雄三人ニテ見物。 引用は、『梅若実日記』第7巻(八木書店、2003年12月)による。梅若は…

七夕に初恋の人デジャー・ソリスに再会

7月7日から根津の弥生美術館で「武部本一郎展」開始。 かつて武部画伯描くところの、火星シリーズのヒロイン、デジャー・ソリスにときめいた私にはたまらない企画だね。 といっても、このへんの話がわかるのは南陀楼綾繁氏くらいか・・・ 七夕は、「ソト、…

『村岡伊平治自伝』の原本を目撃していた石坂洋次郎

日記オタのわしでも、知らなかった石坂洋次郎の『マヨンの煙』(集英社、1977年10月)。 石坂が昭和17年マニラ陥落後の1ヶ月後に宣伝隊員として従軍した時の日記だが、そこには次のように記されているという。 3月5日、(中略)村岡老人は南洋生活57年に及び…

『新世間』編輯顧問谷崎潤一郎

紅野敏郎ほか『展望戦後雑誌』(河出書房新社、昭和52年6月)によると、 『新世間』は、昭和22年4月1日、世間社から創刊。表紙に「編輯顧問谷崎潤一郎」とあり、創刊号は谷崎の「熱海ゆき」を巻頭に、三好達治の詩、吉井勇の短歌が続き、第2号(昭和22年5・…

日本基督教団紅葉坂教会牧師としての小谷部全一郎

『日本基督教団紅葉坂教会六十年史』(日本基督教団紅葉坂教会、昭和29年5月)によると、 小谷部全一郎は明治32年3月牧師に就任したが、同年10月辞任。 「小谷部牧師は十余年の米国の学窓生活を終えられ、帰朝された直後、在京宣教師の推挙により来任された…

世界創造社と弘文堂の統合

福島鑄郎『戦後雑誌発掘』(日本エディタースクール出版部、昭和47年8月)中の「企業整備後の主要新事業体および吸収統合事業体一覧(昭和十九年三月二十一日現在)」に、 (株)弘文堂書房 八坂浅太郎 (統合参加社)弘文堂書房 軍事教育社 大成社 進光社 …