神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2007-05-01から1ヶ月間の記事一覧

稲岡奴之助の娘と散歩する秋田雨雀

『秋田雨雀日記』第1巻を見ていると、 大正6年12月8日 晴。夜寒い。昼は温かに日光が輝いていた。今朝下村君がきて小林*1の撮影があるからといって誘いに来た。ちょうど其時稲岡奴之助の娘さんも来たのでみんなで出て行った。停車場前で井出*2の連中と逢った…

永代静雄の鳩事報国に賛同した協力者たち

天羽英二の日記には、永代静雄も登場する。 昭和17年3月10日 新聞研究所長永代静雄ヨリノ、大東亜伝書鳩総聯盟発起人ノ依頼相談 この「大東亜伝書鳩総聯盟」は、永代により昭和17年に創設された団体で、「大東亜ノ要域ニ鳩通信網ヲ建設スル」ことを目的とし…

戦時読書運動と関係はあったか市橋善之助

関根喜太郎の正体を知っていたと思われる後藤興善、八木敏夫、斎藤昌三も今はない。昭和25年関根が経営したと思われる星光書院から『読書法と勉強法』を刊行した市橋善之助(いちはし・ぜんのすけ)も『日本アナキズム運動人名事典』によれば昭和44年12月31…

日本読書新聞社に送り込まれた刺客、関根康喜

関根康喜(=関根喜太郎=荒川畔村)と日本読書新聞社については、昨年5月25日に言及したところだけど、より詳しいことが、金亨燦『証言・朝鮮人のみた戦前期出版界』(出版ニュース社、1992年1月)に書いてあった。 前記の「懇話会」が発足してから、し…

第一書房の二人の社員

第一書房の社員の名前を著名人の日記で見ることができた。 斎藤茂吉の日記*1には、 昭和16年4月8日 来客(略)鍛代利通(改造)、(略)荑田貞二(文學士)、(略)木下(第一書房)等。 「木下」は、長谷川郁夫『美酒と革嚢 第一書房・長谷川巳之吉』に出て…

告発!星薬学専門学校不敬事件

天羽英二の日記昭和18年9月21日の条に謎の一行がある。 投書 星薬学専門学校生徒校長不敬事件 調べてみてもこの事件の内容は不明だったが、『星薬科大学八十年史』に面白い記述があった。 大條(おおえだ)正雄校長時代(昭和17年12月24日〜昭和22年2月24日)…

戦時下に迷惑な武林無想庵一家

『秋田雨雀日記』第4巻によると、 昭和20年7月23日 今日約一ケ月黒石に滞在した武林夢[ママ]想庵夫妻と、夫人の息子の広康君は黒石を出発して新潟に向った。新潟では画家の水島君のところに一時滞在するらしい。二人とも漂浪癖があって一ケ所に滞在する考え…

岩波書店の小熊虎之助?

菅原憲二他編『田中秀央 近代西洋学の黎明』(京都大学学術出版会、2005年3月)によると、[1920・21年]12月17日付け田中秀央宛岩波茂雄書簡に次のように記されている。 哲学辞典の編纂につきては一方ならぬ御尽力相煩はし奉謝候、(略)校正は小熊乕之助文学…

星製薬の謎(その3)

寺田寅彦の日記*1によると、 大正7年5月2日 中村先生*2より○○君を星製薬に周旋せんとの話あり、 8月19日 朝約により五反田なる星製薬株式会社工場見に行く 佐瀬君*3停車場へ迎に来れり、テルモ部詳細見分 意見を述べ置く、製薬部も石津君の案内にて一見す Vi…

中山忠直の暴走する妄想(その2)

中山忠直(中山啓)のSF詩『火星』*1に関する噂について書いた文献があった。 「昭和漢方の先駆者中山忠直」(『大塚敬節著作集』第1巻、春陽堂、昭和55年4月)によると、 この中山啓が自分の詩集を出版してくれといって、新潮社の玄関に、三日間坐り込んだ…

中山忠直の暴走する妄想(その1)

ヨコジュンさんのお気に入りで、SF詩人として著名な中山忠直は、日ユ同祖論者でもあったのだが、トンデモの領域を超えた妄想の世界に入り込んでいたようだ。 天羽英二(あもうえいじ)の日記によると、 昭和20年4月9日 沼津 中山忠直ナル狂気染ミタモノヨリ…

古本の女神に出逢ふ

書物奉行氏*1(以下「誰ぞ」という。ていうか、このブログで「誰ぞ」という場合は原則として同氏を指している)のマネをして夢ネタ。 気がつくと、ガレージの前にいた。古本に群がっているオジサンたち。それほど混んではいない。ざっと見て二階に上がると、…

 渋谷のブックファースト、おまえもか・・・

遅ればせながら渋谷のブックファーストの閉店を知る。割と好きな書店だったのだが。 阪急電鉄グループは4月25日、渋谷文化村通り沿いにある旗艦店「ブックファースト渋谷店」を今年10月中旬で閉店すると発表した。 同社によると、閉店は入居中のビルの建て替…

天羽英二と国木田独歩

独歩の三十五回忌については、2月3日に紹介したけれど、出席していない招待者がいた。 天羽英二の日記によると、 昭和17年7月12日 来 婦人画報社国木田独歩35回忌案内 7月16日 朝9時 婦人画報東京社ヨリ国木田独歩ノ三十五回忌案内欠席 天羽と独歩って関…

早稲田一言堂の加納さん

次のようなメモが残っているのだが、出典がわからなくなってしまった。 「加納和弘 早稲田大学近くで一言堂という古本屋の店を開く」 向井透史『早稲田古本屋街』によると、『別冊太陽 早稲田百人』の「古本屋地図」に戦前の早稲田通り沿いの古本屋として「…

第一書房の廃業に振り回された社員たち

昭和19年に廃業となった第一書房。その社員について、長谷川郁夫『美酒と革嚢 第一書房・長谷川巳之吉』には、 伊藤禱一は戦後、八雲書店、斎藤書店を経て、第二書房を興した(「第二 著書と出版社」)。 八雲書店は、中絶したが、太宰治の最初の全集を計画…

その時乱歩が動いた!

今日の10時からNHK「その時歴史が動いた」に乱歩登場(日本ミステリー誕生〜江戸川乱歩・大衆文化との格闘〜)。 そう言えば、都営地下鉄の駅でもらえるけれど、『中央公論アダージョ』創刊号(4月25日発行)は、「江戸川乱歩と浅草を歩く」特集。表紙が…

国策出版社だったか、第一書房

佐藤優の『国家の自縛』(扶桑社、2005年9月)に、 開戦の説明責任についても、実は戦争が始まって一週間経ったところで日本政府は大川周明を呼んでNHKで十二回の連続講演をやらせているんですよ。六回は「米国東亜侵略史」、あとの六回は「英国東亜侵略…

隣近所の柳田國男と丹下健三

丹下健三の自伝『一本の鉛筆から』(日本経済評論社、昭和60年8月)によると、 前川建築事務所にいたころ、四谷の木造アパートの設計を担当したが、出来上がると自分も住みたくなリ、しばらくの間はそこに入っていた。同じアパートに松村さんという若いご夫…

展覧会場としての星製薬

河内紀氏の著書で知ったのだけれど、星製薬は展覧会場として重要な役割を果たしていた。 『古本探偵』(北宋社、2000年1月)によると、ポーランド人のウビェンスキー(日本滞在中の署名表記はルビェンスキー)が、三越と星製薬で二回展を開催した(出典は、…

トンデモ系人物のレファ本

人名事典については、「書物蔵」でも特集されたことがあったけれど、戦前のトンデモ系の人物については、意外と総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』(日比谷政経会、1949年)も役に立つかも。もっとも、公職追放の該当事項だけで、生年月…

今日はドラマの「めぞん一刻」を見てから寝るべ

多分がっかりするだろうけど一応見ておこう。原作では、一の瀬、二階堂、三鷹、四谷、五代、六本木という登場人物名の頭の数字は、部屋の番号と一致していたね(ただし、住人でない三鷹を除く)。 追記:三鷹が登場する前に寝てしもうた・・・

東京帝国大学附属図書館司書渋川驍

『高見順日記』第3巻(勁草書房、1964年11月)に渋川驍が出てきた。 昭和20年1月23日 田宮君(原註=田宮虎彦)来る。渋川君(原註=渋川驍、当時東京大学図書館勤務)来る。渋川君は家族を静岡に疎開させてひとりで大学図書館にいる。朝昼は学校の食堂で食…

星製薬の謎(その2)

最相葉月『星新一』では、昭和26年1月ロサンゼルスで星一が亡くなったという訃報を受け開催された緊急の取締役会議に集まったメンバーとして、常務取締役の日村豊蔵、監査役の顧問弁護士花井忠のほか、元陸軍中将若松只一の名前を挙げている。 この若松は、…

星製薬の謎(その1)

戦後、星新一の下、星製薬の社長代理となる皆川三陸の名前を幾つかの文献で見つけたので紹介しておこう。 『右翼事典』(双葉社)の巻末の「右翼・民族派運動年表」昭和4年3月の条に、「黒龍会皆川三陸、船生利量等、政教塾創立」とある。 また、「柴田宵曲…

きまぐれオタのメモ

エス奉行 「最相葉月の『星新一』(新潮社)は読んだだすか?」 ジンボウ町のオタ 「読んだよ。ベタぼめはしないけれど、久しぶりにぐいぐい引き込まれるようなノンフィクションを見つけたという感じ。 猫猫先生もビックリというネタが出てくるよ。 星新一と…

つかの間の池袋往来座モンパルナス

今から80年ほど前、池袋、板橋、練馬付近に若い芸術家たちが集まった。住人の一人である小熊秀雄は、この界隈の詩を詠んで「池袋モンパルナス」と名づけたという。今日明日と、その池袋には老若の古本者が集まるという。「第2回外市」、みんなで「外、行こ…

東京帝国大学附属図書館司書小山栄三

今はなき「ジュンク堂書店日記」2006年4月28日分によると、 東大附属図書館長姉崎正治と古野清人 「日本古書通信」の「徳永康元さん」(八木福次郎)で徳永が、東大図書館に一時勤めていたことや、岡正雄と古野清人によって昭和18年に設立された民族研究所…

『文献継承』を見ると・・・驚愕の事実が!?

『文献継承』*1なる小冊子が落ちていた。何気なく見てみると、ダレゾが「某図書館員」となっていた。「某」ではなく「元」ではなかったかすら。あやすぃだすね〜 *1:金沢文圃閣が発行するパンフ

[トンデモ]明治新聞雑誌文庫に迫るトンデモの影

吉野作造の日記*1には、スタール博士の友人にして、竹内文献の関係者たる前田惇が登場してくる。 昭和6年5月25日 午後は外骨翁を新聞文庫に訪ねる 暫く用談をして居る中前田惇といふ男来る 茨城か埼玉かで大変な古代の遺物があるとて大騒ぎせる事件の関係者 …