神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2006-01-01から1年間の記事一覧

旅する巨人宮本常一が寄り道した聖戦技術協会

佐野眞一氏は『旅する巨人』(文藝春秋、平成8年11月)で、昭和20年7月に軍から宮本常一に対して、敗戦後の農村復興をにらんだアプローチがあり、宮本が三田の渋沢敬三に相談して、賛同を得たというエピソードについて記している。 ところが、昨年刊行された…

神保町系オタ改め神戸系オタ

先日、海文堂書店で購入した『神戸の古本力』(みずのわ出版、2006年12月)は、当日初売りの上、編著者3名(林哲夫、高橋輝次、北村知之)の署名ももらえた。 昨日、読み終えた。これで、わしにも「神戸の古本力」がついたかも。 同じく「神」が頭について…

南陀楼綾繁『路上派遊書日記』が『銀花』の「書物雑記」で紹介されていた。 小谷野敦「猫を償うに猫をもってせよ 」はまたまた再開され、かつ、すぐにプライベートモードに移行したみたい。

『食道楽』以外の小説禁止

沼波瓊音『意匠ひろひ』(国書刊行会、2006年8月)中の「時文(明治四十年二月)」*1に、村井弦斎ネタがあった。黒岩比佐子『『食道楽』の人 村井弦斎』には出ていなかったと思うが、どこかで読んだ気もする。 文部省が日本中の学校へ学生の読物として適当と…

上機嫌なタヌキさん

「退屈男と本と街」11月21分を見るのが遅れて小谷野敦氏のラジオ出演は聞き逃したが、「たけくまメモ」を見る限り、ご機嫌はよかったようだ。 12月号が出ていないから、まだ最新号と言ってよい「彷書月刊」11月号については、「書物蔵」で言及されていたけれ…

今日は、元町・海文堂書店の三箱古本市に行くべ!

daily-sumus11月22日にも出ていたけど、海文堂の古本市へ行こうっと! ベイエリアも行くか?だれぞに見つかる悪寒、じゃない、予感も・・・

「外交とフレンチ」

今日の午後10時25分からNHK教育の「西洋料理と日本人」は「外交とフレンチ」。見ようか。

ワレ堀内庸村ヲ発見ス

櫻澤如一について、昔調べてほっておいたメモを見てたら、当時は気付かなかった(というか、そもそもそんな人は知らなかった)けれど、堀内庸村なる人の名前が出ていた。書物蔵に最近よく登場する人物だ。 橘田広国『日本のローマ字運動』(日本ローマ字教育…

森鴎外に預けられた亀井貫一郎

戦後、731部隊の戦犯免責に深く関与した亀井貫一郎については、2月6日と6月14日に言及したところである。 その亀井は、森茉莉による*1と鴎外に一時期預けられていたようだ。 私の夫だった人の知人に、亀井貫一郎という人がいた。夫だった人とは親しく…

関西文化の日だが・・・

昨日から、関西文化の日ということで、近畿の美術館・博物館の常設展などが無料(特別展も無料の所があり)。今日はどこへ行こうか。でも、雨だすね・・・ 先日の「文化の日」には、無料と勘違いして芦屋市谷崎潤一郎記念館に行ってしまった。300円損した!…

谷崎潤一郎と野上彌生子

野上彌生子の日記や書簡には、多彩な人物が登場して多少楽しめた。 谷崎潤一郎の名前も登場するので、その一部を紹介すると、 昭和32年1月1日 ラヂオ年賀状といふので、いろいろな人の声をきく。谷崎潤一郎の調子がすつかり下町のおつさんなのに一寸おどろい…

村井弦斎と野上彌生子

野上彌生子が兄弟に宛てた書簡に村井弦斎の名前を発見す! 大正3年8月22日付け小手川次郎・武馬宛書簡*1によると、 さて昨日実業の[ママ]日本社の渡辺白水(武馬承知)来りいろいろの話の末。白水君この冬より神経痛に病み。いろいろの治療もはかばかしから…

森茉莉年譜の誤り

『草野心平日記』第1巻(思潮社、2005年4月)には、 昭和37年4月5日 三時半、京橋森屋で田村俊子賞詮考委員会。佐多稲子、阿部知二、立野信之、湯浅芳子、草野、(武田泰淳欠席)で、森茉莉の「恋人たちの森」に決定。 昭和37年4月16日 朝九時半国立発、鎌倉…

日露戦争下の奉天に結集した凄い人達(その2)

「トンデモネタを隠してるだろう」って? ばれたか!! 酒井勝軍『世界の正体と猶太人』(内外書房、大正13年4月)によれば、酒井は「日露戦役第二年余軍に従ひて奉天城外保霊寺境内に宿営」していたのだ。戦前のトンデモ系人物としては、超大物の酒井も、明…

日露戦争下の奉天に結集した凄い人達

日露戦争下の明治38年。各種の文献によると、奉天にはトンデモ凄い人達が結集していたようだ。まず、大阪朝日新聞記者だった内藤湖南(外務省より満洲軍占領地行政調査の嘱託を受け視察中)の日記*1によれば、 明治38年7月29日 朝六時 奉天駅ニ着ス(中略)…

 ナチス叢書の書誌はありやなしや

アルスのナチス叢書について、中井英夫*1が次のように述べている。 ナチスといえば、そのむかし日本でも、昭和十五年から十六年にかけて『ナチス叢書』というシリーズものがアルスから出た。責任編集は駐独大使で陸軍中将の大島浩閣下、執筆者には白鳥敏夫と…

早く出してね、ミネルヴァ日本評伝選『石田幹之助』

芥川龍之介をして東洋史研究をあきらめさせた男、元東洋文庫主事石田幹之助については8月27日、28日にも紹介したけれど、今時、関心があるのは、わし(と谷沢永一先生も?)だけかと思っていた。 ところが、ミネルヴァ日本評伝選の刊行予定リストに、岡本さ…

国会図書館とトイレ

だれぞ(もちろん書物奉行氏のこと)の好きな「図書館とトイレ」ネタ。 野上彌生子の日記*1昭和27年12月15日の条によると、 かねての約束で昭子さんと新宿で逢ひ国会図書館の組合の婦人部の人々の為に話しに出掛ける。この宮殿が一般人の出入自在な図書館と…

実はブックカフェで一度も飲んだことはない

阪急と阪神が統合したといっても、何が変わったのかよくわからん。 それは、ともかく、阪神のPR誌「みなさまの足 阪神電車」11月号は、特集「秋です!本を読みましょう!」として、阪神沿線の本屋を紹介。 『神戸カフェ物語』の著者、甲南女子大学文学部助教…

わすも神保町を「応援し隊」

昨日の毎日新聞朝刊で、手塚さや香記者は、「活性化策さぐる本のまち プロと「素人」が力合わせ」と題して、「神田古本まつり」の取材で知り合った「神保町応援隊」*1による休憩所で、飲食提供の手伝いに加わったことなどを記事にしていた。 古本の町、神保…

上機嫌のかげに弦斎あり

『文學界』で連載中の、小谷野敦・黒岩比佐子*1のお二人。サントリー学芸賞受賞という共通点の他に、小谷野=谷崎潤一郎、黒岩=村井弦斎というそれぞれの研究対象でつながっている。 黒岩さんの『『食道楽』の人 村井弦斎』に記されているが、谷崎は弦斎の…

戦前の雑誌「戦争文化」って、どこかに落ちていないか

小島威彦の自伝『百年目にあけた玉手箱』は、登場人物が多すぎる上に、索引がないので、とても人名を覚えきれないのだが、第4巻の次の一節にも見落としていた人名があった。これは、仲小路彰が世界創造社から「改造」や「中央公論」に対抗して、「戦争文化…

小林一三日記にスメラ学塾の戦後を見る

岩野泡鳴の日記明治45年5月25日の条に「箕面電鉄の小林氏」として出てくる小林一三。 その小林の日記*1には、スメラ学塾関係者が登場する。 昭和24年5月19日 十二時「クラブ関西」にゆく。食後会員諸君の為めに一席講演。此クラブは敗戦後、俄かに会社の第一…

『見世物研究 姉妹篇』を読む

10月4日に言及した帝国図書館員朝倉無声について、不明であった出典*1は書物奉行氏(の友人)の教示(同日の「書物蔵」参照)により解明された。出典が記されていたという、川添裕編『見世物研究 姉妹篇』の「序」(延広真治)を見ると、朝倉が明治44年5月1…

ヨコジュンもビックリ!?岩野泡鳴の日記に薄井秀一登場

ヨコジュンさんが、『明治時代は謎だらけ』などで、夏目漱石に山中峯太郎を紹介した人物として、その足跡を探求した東京朝日新聞記者薄井秀一。 その薄井を岩野泡鳴の日記*1大正6年4月3日の条に発見。 新潮、小此木、前島、天弦、中央新聞を訪ふ。薄井(秀)…

続・柳田國男の幻の妻 −木越安綱夫人貞−

10月10日言及した柳田國男の幻の妻に関する手紙について、森洋介氏からコメントをいただき、手紙の謎が多分解決した。「多分」というのは、若干疑問がなくもないから。 過去の日記のコメント欄なので、奇特な人しか見ていないと思われるので、ここに掲げると…

“永遠の処女”原節子は汚れていたか?

「書物蔵」の「珍しく畏友を援護」によると、原節子がスメラ学塾に協力していたようだ。 これは、初耳と思っていたら、小島威彦の自伝『百年目にあけた玉手箱』第5巻に、原の名前が出ていた。 その翌日、末次誠子*1が次女をつれて訪ねてきたところへ、珍客が現れ…

スメラ学塾より筑摩書房編集顧問を選んだ唐木順三

昭和15年創業の筑摩書房。塩澤実信『古田晁伝説』(河出書房新社、2003年2月)によれば、編集顧問として西田幾多郎の門下生、唐木順三を編集顧問として招くために古田らが成田を訪問している。 出版社創業の挨拶状*1を発送すると、晁は伊那谷から上京した臼…

明治四十四年銀座のカフェーに先陣争い(その3)

3 決戦!カフェーパウリスタ ここまで1勝1敗の両者の戦い。いよいよカフェーパウリスタで決戦。 鴎外は、 大正6年3月24日 與類往銀座。Café Paulistaに立ち寄る。 小泉は、 明治45年1月19日 阿部、久保田の二人と小山内さんの時間が済んだあと、はじめて…

明治四十四年銀座のカフェーに先陣争い(その2)

2 カフェーライオンで第2戦 森鴎外は、 明治44年12月26日 築地精養軒にて陸軍省忘年会を開く。予も往く。始てCafé Lyonに往きて見る。 小泉信三は、 明治44年9月1日 三河屋から銀座に廻ってカフェライオンに入って見た。 これは、明らかに小泉の勝利である…