神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2005-01-01から1年間の記事一覧

『SFの時代−日本SFの胎動と展望』(石川喬司著)中「Ⅰ作家論のためのノート 福島正実 −ミスターSFの道」

星新一や矢野徹がルートを拓き、小松左京が万能ブルドーザー で地ならしをし、光瀬龍がヘリコプターで測量し、眉村卓が 貨物列車で資材を運び、筒井康隆が口笛を吹きながらスポーツ カーを飛ばし・・・という例のぼくのSFランド案内記ふうに いえば、福島…

『戦後「翻訳」風雲録』(宮田昇著)から

この間、出版物の内容は、大きく変わった。福島正実の創作 は、児童物を除いて市場から姿を消して、SF作家も、光瀬 より少し前、星新一(1926〜1997)が死んだが、全 体として勢いがない。だが、福島の翻訳したハインラインの 『夏への扉』、アシ…

『グリーン・ファーザー』(杉山満丸著)から

「お父さんの龍丸さんによく似ている」 と、彼は英語で話しかけてくる。 そのとき、僕は、ふっと聞いてみた。 「私の父はなぜインドへきたのでしょうか」 すると、スシル・クマールさんはこう答えたのだ。 「あなたのお父さんは、小さいころ、ラス・ビハリ・…

建築関係の展覧会が多い特異な年

「文京ふるさと歴史館だより」12号によると、 武田五一(1872−1938)は、明治末期から 昭和初期にかけて活躍した、日本近代を代表する 建築家のひとりです。(中略)代表作は日本勧業 銀行本店(明治32年、現、千葉トヨペット本社、 国登録有形…

『満鉄中央研究所』(杉田望著)から

もう一つ、日本占領時代を生々しく記憶に甦えさせられるのは、 撫順近郊に今でも残る「日本人戦犯収容所跡」である。現在、 歴史資料館となっているのだが、そこに展示してある資料のな かに満州国裁判官を務めた飯盛重任(いいもりしげとう)の中国 侵略を…

平凡社新書『書店の近代』(小田光雄著)から

この『東京古書組合五十年史』は出版史資料としてよく利用 されているが、昭和56年(1981)に刊行された全国出 版物卸商業協同組合の『三十年の歩み』に関してはまったく といっていいほど言及されることがない。だがこの『三十年 の歩み』は古書業界…

岩波文庫『新島襄の手紙』(同志社編)中「まえがき」から

次に内容面における「新版」の顕著な特色は、編集方針の転換 である。「旧版」(引用者注:1954年刊岩波文庫『新島襄 書簡集』)に見られる削除(改竄)を改め、全文公開を原則と した。「旧版」では意味不明の箇所や、さほど重要でない箇所 (たとえば…

「変態の時代」の誕生

『丘の上サ上がつて』(中原中也記念館)中「中村古峡略伝」(曾根博義)から 『変態心理』は大正6年10月から15年10月まで足かけ 10年の間に全103冊を出した。 「変態心理」とは、常態・正態でない心理、すなわち異常心 理という意味で、当時の…

『ある法学者の軌跡』(川島武宜著)から

終戦直後の或る時期、与謝(引用者注:後の相模湖町の一部) にいるあいだに、私はロシアの種々の本を読みました。その 直接の原因は、日本軍の全面降伏の直後、米軍が上陸してくる までの短い期間に、企画院という戦時中の官庁の所蔵していた 書籍が古本屋…

『智にはたらけば角が立つ』(森嶋通夫著)から

その書物(引用者注:処女作『動学的経済理論』1950年 弘文堂刊)は有名になったが、誰からも真剣な反撃はなかっ た。今から20年近く前にイギリスから帰って、学生時代に 親しくしていた京大百万遍入口前の井上書店を訪ねた時に、 主人が「あんた、え…

『回想九十年』(脇村義太郎著)から

脇村 (前略)叔父は東京で一高から東大の時代に漱石 に習ったのでしょう。それで『漱石全集』の初版 を持っていました。(後略) 菊川 このあいだ南方熊楠の伝記を読んでおりましたら、 脇村民次郎という名前が出てくるのですが、いま 先生のおっしゃったそ…

岡正雄、ヒトラーのオーストリア併合を目撃

ところで、日本学研究所として私に与えられた研究室という のは、それまで精神分析学の研究室だったところなんですよ。 フロイトがやはりナチスの侵入によって亡命したために、そ の研究室が空いて、その部屋が私に当てがわれたわけ。 (中略) ヒトラーが入…

国策プロパガンダ雑誌「FRONT」顧問としての岡正雄

これは戦争中、岡田桑三、林達三、中島健蔵、木村伊兵衛、 原弘氏らを中心として出版していた「フロント」という写真 雑誌−これには私や岩村忍君も顧問として関係していました− の経営面を担当していた山本房次郎さんという方があり、この 山本氏がもと軍の…

佐野学も読んじゃうフレイザー

話は飛びますが、フォクロアの専門家でなくて、フレイザー の本をよく読んでいた人に、意外な人がいるんです。佐野学 さんが、フレイザーの本をほとんどそろえてもっていました。 当時の丸善の二階の隅にフレイザーの本がどっしりといつも 並んでいて、欲し…

「一将功なって万骨枯る」

これらの研究会あるいは談話会では、研究報告というより も、採訪報告というような性質のものが多かったですね。 さきにも述べましたが、先生は雑誌への報告寄稿の取捨は きわめてきびしかったのですが、こうした会合での報告で も、生のままの資料を好まれ…

柳田国男邸を逃げ出した岡正雄

僕は昭和3年の9月まで先生のところにおったのです。もうとて も先生と朝夕、顔を合わせることに堪えられなくなり、先生の方 も僕に我慢ならなくなったことと思います。それで先生に何度か ここを出たいとお願いしたのだが、うんといわない。あるときは、 …

『期待と回想』(鶴見俊輔著)から

京都の「ちきりや」でやっていた「庶民列伝の会」というのには、 富士正晴、梅棹忠夫、永井道雄、多田道太郎、のちに三菱鉱山重 役になる学生の西村和義、こういう人たちがいました。おもしろ い会合で、名古屋から上坂冬子が月に一度通ってきていました。 …

集英社新書「『日本の異端文学』(川村湊著)から

私が学生時代に友人たちと競うようにして読んだ『大菩薩峠』の テキストは、角川文庫版(1955〜6年)の27巻本だった。 (中略)完読したこの文庫本は、友人が早稲田で古本屋を開店す る時に、目玉商品がないということなので、27冊をまとめて売 っ…

『努力と信念の世界人 星一評伝』(大山恵佐著)(大空社・伝記叢書262)中「解説」(横田順彌)から

文庫版『明治・父・アメリカ』(新潮文庫)解説者・小島直喜 は『百魔』によって、星一を知り「これは伝記小説にしたらお もしろいかもしれない、といつの日にか作品化することも考え た」そうだが、筆者は二十年ほど前に入手した時点で同じ思い にかられ、…

『続々々裁判官の書斎』(倉田卓次著)中「辞書慢読」から

レファランス書目の必要性、重要性を教えてくれたのは、大学を出てすぐ暫く勤めた国会図書館受入整理部の先輩だった。その人のデスクの前にはウエブスターの大冊の辞書が天地逆にして立ててあってね。単語引くときはその天辺をもって手元に倒して開くと、す…

『中野重治と社会主義』(石堂清倫著)から

しかし福本(和夫)にとって最大の精神的打撃は彼の 熱心な支持者が揃いも揃ってマルクス主義を捨てたこ とであろう。最高の使徒水野成夫は反共主義どころか、 誰にもできない離れ業で、戦後吉田茂首相の最高ブレ ーンに納まった。新人会のリーダーの大間知…

『明治文学余話』(木村毅著)から

初めて中之島の図書館にいった。田舎にいる時、読みたく ても持っている人のなかった小栗風葉の『青春』と、小杉 天外の『魔風恋風』を借覧申込紙にかいて出すと、頭をき れいに分けた司書が、私のまだ子供なのをみて、 「君等のような若い者が、こういう不…

『明治文学研究夜話』(柳田泉著)から

そのときは、大正12年9月1日午前11時 58分という。正午少し前である。私はその とき何をしていたか、丁度飜訳物の校正のた め早稲田の印刷所に出かけていたときで、朝 小雨があがり、傘をもち足駄をはき、麦稈の カンカン帽を冠っていた。十二時近く…

関野貞・伊東忠太

それから今国宝の調査会にも関係しておりますが、この (明治)33年に正倉院の御物を拝見に行きましたとき に、ついでに奈良の方を少し見たことがあります。その 時に関野貞君が奈良県の技師であって、そうして伊東忠太 君もちょうど奈良へ来合わせた。こ…

井上円了

小石川の伝通院の横に○○庵というものがあって、 今は沢蔵主稲荷の所の通の真中に大きな榎が一本 ある。その下にあった庵でありますが、そこへ( 明治)26年の11月頃から杉浦重剛さんを中心 に、井上円了・市村瓉二郎・私等が時々寄って天下 国家の話合い…

『明治の翻訳王 伝記 森田思軒』(谷口靖彦著)から

その翌(明治)30年の秋、思軒は急死するが、その臨終直後の写真を、(岡倉)天心は親交のあった友人の写真師、小川一真に頼んで撮影をしてもらっている。また。友人代表として黒岩涙香、藤田隆三郎らと葬儀を執行した。思軒は36歳の短い寿命だったが、…

『父荷風』(永井永光著)から

葬儀のときに、私は遺品の書籍を盗難から守るため、奥の部屋の本棚に五寸釘を打ちつけました。この作りつけの本棚は安普請で、裏はベニヤを張っただけのものでしたから、雨が漏って本がしみだらけでした。しかし『断腸亭日乗』の原本が入っていたので、これ…

『東大黎明期の学生たち−民約論と進化論のはざまで−』の「展示資料目録」中「洋書肆の書棚(服部撫松『東京新繁盛記録』より)」から

『東京新繁盛記』の「書肆、洋書肆、雑書店」の項には、書店の書棚に並ぶ書籍を列挙して、「正面に維新斯徳剌(いぼすとる)氏の大字書を安置し、(中略)」とある。ここではいずれも明治7年前後に出版された書籍で、その書店の書棚を再現してみよう。すな…

『家の記憶 第一巻 明治篇Ⅰ』(藤森照信・増田彰久著)中「旧徳川頼倫邸」から

大正十二年の関東大震災の時、東京帝国大学の図書館が全焼の憂き目にあうと、紀州の殿様はその再建のため南葵文庫の書籍をそっくり寄贈してしまった。 現在、東京大学の総合図書館閲覧室に入ると、壁の上の方に南葵文庫と書かれた大きな額が掲げられているが…

『考古学者はどう生きたか−考古学と社会−』(春成秀爾著)中「後藤の処世術」から

敗戦の時、後藤は国学院大学文学部の教授であった。ところが、10月に再開した国学院大学の教員名簿から後藤の名が消えている。教授職をこの年の9月には辞していたことになる。(中略) 後藤がもっともおそれたのは、大東亜共栄圏の建設を会の方針にかかげ…