神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

PR誌『本の旅人』(KADOKAWA)も休刊

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ADOKAWA発行のPR誌『本の旅人』が7月号(25巻7号、通巻285号)で休刊となった。創刊は平成7年11月。出版社の紙のPR誌がどんどん減って行く寂しい状況である。最後まで残るのは岩波書店の『図書』と新潮社の『波』であろうか。『本の旅人』は萩尾望都グーグーだって猫である」を連載していた頃は、よく読んでいた。「「グーグーだって猫である」だって終わるのである」を参照されたい。もう一つ良かったのは、巻頭エッセイ。たとえば、平成29年6月号は山尾悠子「倉敷・蟲文庫への通い始め」。山尾氏はそれまでも店に立ち寄ったことはあるが、新装復刊された歌集『角砂糖の日』をかなり引き受けてもらい、更にちくま文庫の『夢の遠近法』『ラピスラズリ』も扱われて以来、蟲文庫通いが始まったという。蟲文庫通いはその後も続いているようだ。もっとも、今蟲文庫は店主が骨折のため休店中で、そろそろ再開しそうだ。
休刊号の巻頭エッセイは、編集長の小林順氏が執筆。学生時代遊びに行った友人の家で父親から「将来何になりたいの」と聞かれ、「詩人か旅人になりたい」と答えたという。その後、角川書店で書籍編集兼『本の旅人』スタッフとして働き、やがて編集長になった時に「詩人にはなれなかったけれど、これで旅人になれたかもしれない」と思ったと。自分の代で休刊になるというのは悔しい思いもあるだろうが、新たな航海での活躍を期待しよう。
なお、連載の梯久美子「サガレン紀行」は『小説野性時代』へ、酒井順子「鉄道無常 内田百閒と宮脇俊三を読む」は『カドブンノベル』創刊号(電子雑誌)へ、原武史「地形の思想史」は『小説野性時代』へ移るなど、他誌へ継続される。

兵庫古書会館の均一台で見つけた『新家庭臨時増刊 山水巡礼』に水島爾保布

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ナンダロウさんが6月21日の『新潟日報おとなプラス』に画家水島爾保布(みずしま・におう)に関する記事を書いたらしいので、読みたいと思っていた。しかし、地元以外では国会図書館ぐらいにしか無いだろうなあとくさっていたら、何と記事にも登場するかわじ氏が送ってくださった。ありがとうございます<(_ _)>記事は、戦時中に燕市疎開し、戦後長岡に移住した爾保布の晩年を探究したもの。爾保布は長岡の東山油田へ来た時に芸妓関川スイと知り合い、東京で同居するようになり、昭和18年燕市疎開。その後移った長岡には爾保布の蔵書、落款、日記、作品、更には南方熊楠谷崎潤一郎竹久夢二などからの手紙が多く残っているという。この記事がきっかけとなり展覧会が開催されたり、研究*1が促進されてほしいものである。
私もかわじさんの『水島爾保布 著作書誌・探索日誌』(杉並けやき出版、平成11年6月)に刺激を受け、妻の婦人記者水島幸子、長男でSF作家の今日泊亜蘭と併せて何度か話題にしたことがある。
・「『『食道楽』の人 村井弦斎』余話(その6)
・「戦時下に迷惑な武林無想庵一家
・「『婦人画報』記者列伝(その2)
・「黒岩比佐子『古書の森逍遥』(工作舎)への補足(その4)
・「今日泊亜蘭の祖父水島慎次郎
・「「東京の女」、水島幸子
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さて、私とは相性が悪い兵庫古書会館だが、何年か前に100円均一コーナーで爾保布が扉絵を描いたり、寄稿している『新家庭臨時増刊 山水巡礼』(玄文社、大正9年7月)を100円均一で拾ったことがある。爾保布の他にも、表紙が川端龍子、寄稿が吉井勇田山花袋志賀直哉島崎藤村泉鏡花、中澤弘光、松崎天民菊池寛など豪華である。爾保布は「十津川下り」と「各地で見た盆踊」を執筆しており、後者にはちょうど、

越後はどこも盆踊は盛んです。長岡市から一寸離れた信濃川沿岸の蔵王といふ所で見た踊などは特に驚くべきもので、集まつた人の数だけでも二百乃至二百数十人位はありました。

云々という一節もある。この時に関川スイと出会ったわけではないだろうが、美人が多い町という印象を持ったのかもしれない。
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*1:最近では、ネットで読める桐原浩「水島爾保布ビアズリーーー行樹社と『モザイク』を中心に」『新潟県万代島美術館研究紀要』16号,平成29年3月

もう一人の満鉄調査屋流転ーー『印度資源論』の真の訳者に迫る検印の謎ー

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なんか知らんうちに小林昌樹編・解説『満鉄調査部から国会図書館へーー調査屋流転』(金沢文圃閣)なる本が出てた。戦前満鉄の調査マンで戦後国会図書館の調査及び立法考査局長や副館長を務めた枝吉勇の自伝『調査屋流転』と併せて国会図書館職員名簿などの復刻である。小林氏作の「枝吉勇著作年譜」に挙がっていないが、枝吉の「照丸君との因縁」を収録した井上照丸追憶記刊行会編『井上照丸追憶記』(昭和44年4月)は「昭和17年8月シンガポールで交錯したジャワ派遣の大木惇夫と日米交換船の鶴見和子・俊輔」で紹介したところである。井上も満鉄の調査マンで『調査屋流転』には、

この井上君とは不思議な縁で昭和八年東京で知り合ってから、北京、東京(彼は企画院に派遣された)、シンガポール(総軍)そして空襲中の東京と行く先々で一緒になり、戦後も職場も近く時折共に焼酎を味った。

など、何回か出てくる。シンガポール、空襲中及び戦後の出会いについては、井上の日記に出てくるが、ここではシンガポール時代について引用しておこう。

(昭和十七年)
十二月一日 火曜
午後四時半帰宅。五時前、突然枝吉の電話。センバワン飛行場に着いているーーとうとう枝吉が来た。ほんととは思われない彼の声だ。富軍政部二木氏に出迎え方を依頼し、読売岩村氏にカーを借りて飛行場へ行く。枝吉は白髪がふえた。三品頼忠と海野竜眠が一緒、吉田(稲葉四郎の弟)も。こうして満鉄の連中が出て来たーー
(略)富、岡調査部(岡は総軍、富は山下兵団の呼称)合同の歓迎会になった。
(略)
十二月十五日 火曜
(略)押川次長、水谷調査役への短信ーー渡南十ヵ月の苦渋の後に、こうして枝吉等を迎え、満鉄自体がいわば背水の陣といった形で、南方軍政調査の大陸部門をほとんど全部受持っている事実の大きさーーしかも本部はほとんど仮死に近い窮地に陥っている現状*1。感傷的な手紙になって、幾度も書き改む。(略)夜は枝吉と二人、南都ホテルで会食。調査部の事情をくわしく聴く。(略)
(昭和十八年)
一月二十日 水曜
(略)
月のよい夜、枝吉の宿舎を訪ね、”戦争の将来“を語る。こうしてここに在る事実ーー事実は尊重するが、これで見通しある行動が生れるわけでもない。経済調査会以後の歴史も思いあわさる。役人三年、もう好加減に足を洗うべきであろうか。

この昭和17年は重要な年である。小生第四郎(こいけ・だいしろう)訳『印度資源論』(聖紀書房)の真の訳者を小谷汪之『「大東亜戦争」期出版異聞』(岩波書店、平成25年7月)は枝吉とし、書物蔵氏は山川均と荒畑寒村の共訳としている*2が、同書の発行が昭和17年12月10日なのである。書物蔵氏の推測の方が正しそうなので、枝吉は『印度資源論』なんていう本が刊行されたことなど知らずに井上と思い出話や戦局について語っていたことになる。
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ところで、小谷氏も書物蔵氏も解き残した謎がある。『印度資源論』に押された検印である。これが解けたら「真の訳者」が判明するかもしれない。小谷氏は「右側の「姓」の部分はなかなか判読しにくいが、左側の「名」の部分には「清」という文字が読み取れる」としている。1字目が姓とは限らないが、蔵書印さんは読めるだろうか。

*1:昭和17年9月第一次満鉄調査部事件が起きた。

*2:「真相はかうだ!藤岡淳吉の日本焚書は片隅で/『印度資源論』のホンタウの訳者は」『文献継承』23号,平成25年10月

大阪府立中央図書館国際児童文学館で精文館が発行した「幻の児童雑誌『カシコイ』」展開催中

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かつて北村宇之松(宇宙)が創立した精文館という出版社が存在した。『日本児童文学大事典』に一応立項されているので、そこから要約すると、

精文館 せいぶんかんしょてん
大正3年北村宇宙が神田神保町1丁目に創業した出版社。奈良生まれの北村が大阪の積善館で8年間修行後上京して創立。同社での経験を生かし、処女出版に村田素堂『カナの習字本』を出し、以後各種参考書を中心に刊行し、児童書では木村小舟の童話集『教育お伽はなし草』(大正7年)が特に知られ、月刊誌『カシコイ一年小学生』、『カシコイ二年小学生』を昭和7年に創刊。しかし、長くは続かなかった。(亀谷真弓)

この精文館が発行した学年別児童雑誌『カシコイ』に関する展覧会が大阪府立中央図書館国際児童文学館で今月30日(日)まで開催中である。昨年末から今年3月にかけて京都国際マンガミュージアムでも同種の展覧会が開催されたが、出品物は異なっている。
展覧会のきっかけは、京都新聞記者行司千絵氏による祖母の家での発見である。行司氏の祖父藤本卯一は北村の従兄弟で、精文館で編集に携わっていたのだ。詳しくは、『図書』平成30年11月号及び12月号に同氏による「精文館と児童誌『カシコイ』を探して」(上・下)が掲載されているので、見られたい。私が国際児童文学館に行った時は当該『図書』が若干置いてあったので、まだもらえるかもしれない。『カシコイ』は、童謡顧問北原白秋、童話顧問浜田広介、童画顧問初山滋、作曲顧問藤井清水だったというからそのレベルの高さがうかがわれる。また、新美南吉の「アメダマ」など5作品、浜田の代表作「泣いた赤おに」、白秋の「アマダレ」や小川未明「花とあかり」の初出誌でもあるという。
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国際児童文学館における展示の目玉は、北村の次女の家で発見された保存状態のよい原画で、田原利一、初山滋、前島トモ、鈴木寿雄、越智はじめ、池上重雄、黒崎義介の物が出品されている。掲載誌が判明している分は原画と該当頁とが並べて展示されていて、一興である。残り極僅かの会期だが、お近くの方は是非行かれたい。

三密堂書店の100円均一台で易者神山五黄の正体を掴むーー宮武外骨の仲人神山五黄とはーー

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易学書の専門店である京都の三密堂書店の100円均一台は昔から古本者がよく立ち寄るスポットである。水明洞無き現在、林哲夫画伯や扉野良人氏がいいものを拾ったという場合大抵三密堂だろう。さて、先日藤本一恵『東山五十年』(昭和53年3月)という私家版211頁の本を見つけた。著者は、明治45年和歌山県生、戦前は京都女子専門学校教授、戦後は京都女子大学教授兼京都女子大学短期大学部教授を務めた国文学者である。本書は藤本の退任記念に『女子大国文』『国文学学会会報』等に掲載した随想等を集めたものである。この中に神山五黄という易学者が出てきた。先ずは、会報から転載された藤本の元同僚千田憲「波の淡路」(『国文学会会報』30号,昭和40年2月)である。

(略)或る夜、五高以来の友人、神山五黄が細君帯同でやって来た(略)その細君は、金沢出身で、京都で、義太夫を語って高座の真打ちを務めた事もあり、京大ドイツ文学科の学生、神山と、芸が取り持つ、恋愛結婚の大あつあつの夫婦なのである。(略)

続いて、藤本の「波の淡路余録」(同号)。

(略)
千田先生五高以来のご親友、神山五黄先生には、ひよんなことで二度ばかり面謁した。昭和二十三年麦秋(略)京大ドイツ文学科出のインテリ陰陽師というに引かれ、浄土寺馬場町の五黄先生の門を叩いたのであった。ぜい竹を徐ろにさばいての先生の予言は九分通り的中した。

京大独文卒の易者がいたのかと驚いた。五高、東京帝大、京都帝大各一覧、国会図書館サーチ、木本至『評傳宮武外骨』(社会思想社、昭和59年10月)などで判明したことをまとめると、

神山義次(五黄)
明治? 岐阜県
明治41年6月 『龍南会雑誌』(龍南会)に千田憲らと共に「就任之辞」を掲載
明治42年7月 第五高等学校第一部独語文科卒。同級に千田(英語文科)
同年9月 東京帝国大学文科大学文学科入学
大正4年9月 京都帝国大学文科大学文学科入学
大正7年7月 京都帝国大学文科大学独文学専攻卒。同級に矢野禾積(英文学専攻)
大正7年11月8日 東京朝日新聞に鑑定料一円の広告
大正8年12月 『今年の運勢 大正九年』(発行文武堂書店、編纂所神山易断所)刊行
大正10年1月 『恋愛』(日本性学会)1巻1号に「男女和合の霊薬」掲載
戦時中 京都に疎開

京大卒業後直ぐに鑑定を始めていたことが分かる。『易占入門』(大明堂書店、昭和24年4月)には、「大学卒業後、周囲の猛然なる反対を押し切つて、易占家として世に立ち」とあるので、京大独文卒なのに・・・という意見が多かったのだろう。東大から京大に移っているが、東大の卒業は確認できない。なぜ京大に入り直したのだろう。
木本著によると、大正15年4月宮武外骨と小清水マチの結婚の仲人をしたという。斎藤昌三が『三十六人の好色家』等で仲人を西垣某としているが、横田謙三郎所蔵の同書に三田平凡寺による仲人は神山五黄という易者との書き込みがあるという。神山は趣味人のネットワークに属した人だったのかもしれない。そんな神山の悲しい最期が木本著に記されている。

自殺したマチ女と外骨の結婚の仲人をつとめた易者の神山五黄が二十五年夏に京都で人生を閉じている。「神山先生は自宅前の白川に架かる馬場橋で死のうとしたが、人目があって死ねず、自宅の手摺に紐を懸け首を吊って死にはった。私の離婚を当てたが、ご自分の運命がわからなかった」と隣家の女主人は語る。(略)

(参考)「宮武外骨の妻を寝取った松井史亨

評伝 宮武外骨

評伝 宮武外骨

エコール・ド・プラトーンの時代に哥澤芝虎編『哥澤撰』(クラブ化粧品本舗)

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知恩寺の古本まつりでキクオ書店の和本300円コーナーから見つけた哥澤芝虎編『哥澤撰』。驚いたことに大正14年3月クラブ化粧品本舗(現クラブコスメチックス)発行なので購入。印刷所は京都市西洞院七条の内外出版株式会社印刷部、65頁。定価の表示はない。
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内容は哥澤による「うた沢」の選集。仮名垣魯文、河竹其水(黙阿弥)、小原芝石、半井桃水、幸堂得知らの作品が選ばれている。そもそも、「うた沢」とは、上原一馬『日本音楽教育文化史』(音楽之友社、昭和63年4月)によると、江戸末期に端唄から派生したもので、節を品よく優婉、繊細に静かに長く延ばして歌われ、三味線の前弾きがあるという。芝派と寅派があり、明治期には初世哥澤芝金が河竹黙阿弥と交際してうた沢が歌舞伎に取り入れられたため、芝派が優勢であったという。本書には哥澤芝金律・河竹其水述の作品も掲載されているので、芝派の作品ということになる。編者の名前も「芝」虎である。芝虎の経歴は不詳だが、『演劇年報』1975年版(演劇博物館、昭和50年6月)の「一九七四年物故者年譜」から要約すると、

歌沢芝虎
歌沢3代目師匠。本名安田五三尾(いさお)
昭和49年3月6日京都で死去、66歳

とある。同一人物だとすると、本書刊行時は17歳位になる。
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大阪の本おや(本は人生のおやつです‼)で入手した『百花繚乱 クラブコスメチックス百年史』(クラブコスメチックス、平成15年12月)の「年表」で本書発行時のクラブ化粧品本舗(中山太陽堂)を見てみると、

大正11年5月 プラトン社から雑誌『女性』創刊
大正12年10月 小山内薫プラトン社をたよって大阪天王寺に移住。以後プラトン社関係の作家の関西移住が続き、時ならぬ大阪文壇を形成
同年12月 プラトン社から雑誌『苦楽』創刊(大正13年1月号)、好評売り切れとなる。
大正13年1月 大阪、東京の中山文化研究所開所式
同年 大阪の文化研究所で毎月「科学と宗教」講座を開き毎回3~400人の聴衆を集める。
大正14年11月 大阪の文化研究所で第1回「信仰と迷信に関する通俗科学展覧会」を開催
大正15年・昭和元年1月 プラトン社より雑誌『演劇・映画』創刊

こうした時期にどういう経緯でクラブ化粧品本舗から本書が発行されたのか、さっぱり不明である。国会図書館サーチ、CiNii、日本の古本屋で本書はヒットしない。それどころか、発行所がクラブ化粧品又はクラブ化粧品本舗の本が存在しない。エコール・ド・プラトーンの時代における謎の冊子である。
(参考)「大正モダニズム下のプラトン社を描く永美太郎『エコール・ド・プラトーン』 - 神保町系オタオタ日記

エコール・ド・プラトーン 1 (torch comics)

エコール・ド・プラトーン 1 (torch comics)

西田幾多郎門下の森本省念と鹿野治助

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寸葉会で大量の使用済み官製葉書から発見した1枚。100円。岐阜県の放光寺内の森本省念から京都学派の鹿野治助に宛てた葉書。消印が「12日」しか読めないが、「鹿野治助の日記から見た物語「京都学派」再び」などで紹介した架蔵の鹿野日記昭和22年8月13日の条にエスペラント(?)で「letero de Morimoto.」とあるので、消印は同月12日か。
森本の経歴は、半頭大雅編『禅 森本省念の世界』(春秋社、昭和59年4月)の「森本省念老師略歴」によると、

明治22年1月 大阪市南区心斎橋筋1丁目生
明治44年9月 第三高等学校第一部英文科卒
大正4年7月 京都帝国大学文科西洋哲学科卒
大正8年4月 浄土宗の寺に身を寄せ、寺男同様の生活をしながら、朝夕相国寺僧堂に通参。傍ら、福原隆成師に就き、浄土宗学研究
昭和8年 出家、相国寺僧堂に掛錫
昭和12年10月 僧堂暫暇、引続き通参、傍ら、花園大学で禅学、神宮皇学館大学で東洋倫理を講じる。
昭和20年5月 岐阜県美濃加茂市伊深正眼専門道場掛錫
昭和26年10月 長岡禅塾塾長
昭和59年1月 遷化

西田幾多郎の最初期の弟子から後輩宛の葉書と言うことになる。鹿野と森本が親しかったことは、昭和12年6月11日付け西田の鹿野宛書簡に「年に六回 亡 父母 姉 子供の為に読経御願ひしたいと思ふのですが森本君と御相談下され相国僧堂にお願して置く訳にゆきますまいか」とあることからもわかる。入手した葉書には表裏びっしりと書かれているが、判読できない部分も多い。
・鹿野が『霧隠余光』や『牧牛禅話』の在庫を問い合わせたようで、まだ沢山あると回答
・昨日美濃町の戦死者の遺族のもとへ授戒に行った
・肺病人や戦死者の未亡人を相手にして、無力感を感じたようで、「ココ迄くると田辺先生も鈴木居士も机上空論家」との記述
・鹿野が日本語よりもエスペラントで希臘の古典を翻訳することを切望する
などが書かれているようだ。拙ブログには宗教研究者の読者も多少いるようだから、森本に関心がある人もいるかもしれない。
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