うかうかしてたら、今日ではてなダイアリーの更新ができるのが最後になるらしい。また、はてなブログの方で再会できるでせう。一度、はてなブログの方にデータを移したけど使い慣れたこっちの方で更新を続けちゃったからどうなるのかなあ(´・_・`)
「上州・大逆事件の歌人」を執筆中の伊藤信吉と蒼馬社の中村泰
昭和53年4月伊藤信吉は『萩原朔太郎全集』(筑摩書房)全15巻の編集刊行を終えた。そして翌54年6月から『短歌』に「上州・大逆事件の歌人」の連載を始める*1。この時期に蒼馬社の中村泰宛に送った葉書がある。全大阪古書ブックフェアで池崎書店から購入。昭和54年9月25日付けの消印で、次のようなことが書かれている。
政治と文学。蒼馬。(略)今日、封を切り、堀さんの武田麟太郎、中村さんの崎久保誓一をまずよみました。(略)
そして、「崎久保」の横から赤線を引き、余白に「(大逆)事件の上州(群馬)余波について小文を書きつつあるので、親しく思いました」と追記している。この「小文」が『短歌』連載中の「上州・大逆事件の歌人」のことだろう。崎久保は大逆事件に連座したジャーナリストなので、伊藤の関心を引いたのだろう。なお、伊藤と中村の関係は不詳だが、以前から交流があったと思われる。
『政治と文学』は、小島輝正『関西地下文脈』によれば、昭和52年3月に発足した「政治と文学の会」の機関誌で、54年9月創刊。同会は、『大阪派』の旧同人須藤和光、中川隆永、堀鋭之助らの先輩に、若い戦後活動組の近藤計三や中村らを加えて10名で発足したという。伊藤に贈られたと思われる創刊号には岩田馨「島木健作・作品原モデル論」*2と田島静香「同人雑誌『啄木研究』総目次」掲載。日本近代文学館が3号(昭和57年8月)まで所蔵。一方、伊藤に贈られた『蒼馬』は何号か不明で、4号は53年12月発行、5号はどこにも残っていなくて発行されたのか、発行されたとすればいつなのか不明である。
(参考)「富士正晴や谷沢永一が感心した蒼馬社の中村泰が書いた「大都映画の話」」
- 作者: 伊藤信吉
- 出版社/メーカー: 沖積舎
- 発売日: 2003/10
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第2次『働く人の詩』の発行人としての中村泰
先日話題にした蒼馬社の中村泰だが、うっかりしてたが全大阪古書ブックフェアで同じく池崎書店から買った第2次『働く人の詩』(働く人の詩社)の編輯兼発行人でした。『『山河』解題・回想・解説・総目次・執筆者索引』(三人社、平成28年2月)の宇野田尚哉「別巻「戦後大阪詩運動資料」解説ーー須藤和光に触れながらーー」によると、
一九五一年、同欄(『夕刊新大阪』の「働く人の詩」欄ーー引用者注)のある常連投稿者が、黒崎貞次(ママ)郎に、『働く人の詩』が顧みられなくなっている現状を嘆き、ガリ版でもいいから復刊したいという思いを伝える長文の手紙を書き送った。その常連投稿者とは、一九四〇年代後半に西大阪工場地帯の日新化学(のちの住友化学)でブルーカラー労働者として働いていた頃に労働組合機関誌などに詩を書き始め、病気療養を経てホワイトカラー労働者となったのちには個人誌の発行も始めていた中村泰(一九二七〜)である。中村の手紙で動かされた黒崎は、足立(足立巻一ーー引用者注)に協力するよう指示し、ここに第二次『働く人の詩』が創刊されることとなった。(略)
第2次『働く人の詩』は昭和26年9月創刊で、4号(27年4月)まで発行された。私は3号(同年2月)と4号を入手したのだが、「鬼ぽん」こと「ゆずぽん」さんも同時に池崎書店から3号を入手していて、旧蔵者は2冊も持っていたのかと不思議に思っていたが、発行人自身の旧蔵であった。
(参考)「富士正晴や谷沢永一が感心した蒼馬社の中村泰が書いた「大都映画の話」」
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戦前の西宮で創立された蒐集家ネットワーク「西宮雅楽多宗」
平成27年7月から8月にかけて西宮郷土資料館で「阪神沿線ごあんないーー西宮の郊外生活ーー」展が開催された。ここで驚いたのは、三田平凡寺の我楽他宗の西宮版とも言うべき趣味人のネットワーク西宮雅楽多宗に関する展示であった。当然図録を買ったのだが、残念ながら西宮雅楽多宗に関する記述は掲載されていなかった。その後、須崎愼一「戦後意識を探るーー西宮雅楽多宗・ハガキ通信を手がかりにーー」『日本文化論年報』9号(神戸大学国際文化学部日本文化論大講座、平成18年3月)を見つけて、詳細が分かった。西宮雅楽多宗は昭和5年*15月5日創立。阪神間の蒐集趣味家を主体とし、変人、哲人、野人、奇人、雅人を網羅した文化団体だったという。戦後の名簿と思われるが、「西宮雅楽多宗一覧」として33名の氏名、主なる趣味と収集品がまとめられているので、一部を引用しておこう。
高山岩三郎 戎さんに関するもの
音馬福蔵
浅田柳一 燕に因んだもの、木版絵暦
矢野倉蔵
多喜幸三郎
小田龍三
小松原無庵
長尾善三 虎に関するもの、木版絵葉書
松井蛙聲
勝部正造
石原栖史
山川黙音
丸山松蔵 趣味品一式何でも来い
西田一光
細田閑公 大供玩具、趣味の紙屑
小林好燐 ゑはがき、燐票
武村光起
藤井千鼠庵 鼠に関するもの
永井清司 自筆の絵画、手拭、鏡、鈴
辻繁 諸国名物レッテル
松本丙午楼
松井晩翠
阿部四郎 げてもの、おもちゃ
難波正寛
頭井豊樹
葛山磐夫 屑と反古類一式
今井賛之助
服部衣山人 郵趣品、新聞題字、煙草関係
得永幸作
阪口砂山
今井孫一郎
中川京二
宮本圓心
池田市の長尾と大阪府南河内郡国分町の阿部を除き、兵庫県内で、西宮市が11名、神戸市と尼崎市が各8名、芦屋市が3名、明石市が1名である。全然知らない人ばかりだが、ぬりえ屋さん(熊本の古書店)や書物蔵さんらが作成しつつある趣味人名簿にあがっているだろうか。須崎氏によれば、高山は昭和25年10月没で若い時は国民党の「党(ママ)士」として花々しく政治活動をしていたという。
さて、西宮雅楽多宗については、ネットで読める山内英正「「西宮雅楽多宗」の人々(一)戦前編ーー趣味人ネットワークの成立と展開ーー」がより詳しいので、そちらもぜひ見られたい。永井は西宮の菓子店「大半」の店主、浅田は本名耕一郎、西宮の浅田印刷所の長男に生まれ、新聞記者になったという。また、山内氏が関心を持つに至ったきっかけは、京都の「書林かみかわ」から入手した西宮雅楽多宗関係の古写真だったという。かみかわさん、いいもの持ってるなあ。
富士正晴や谷沢永一が感心した蒼馬社の中村泰が書いた「大都映画の話」
先月の全大阪古書ブックフェアでは池崎書店が蒼馬社(大阪市)の中村泰宛書簡等を出品していて、幾つか購入した。今回紹介するのは、昭和50年4月25日付け富士正晴の葉書である。文面は、『蒼馬』3号送付への御礼で、「大都映画の話」が興味深く、「面白い人がまだまだ世に残っているものですな」と感想を述べている。当時富士は62歳で、この年の5月に『富士正晴詩集』(五月書房)を出している。
中村の経歴は不明だが、小島輝正『関西地下文脈』(葦書房、平成元年1月)によれば、昭和2年生まれ。『蒼馬』は昭和37年8月(ママ。正しくは、昭和38年7月)創刊、以後2号(39年12月)、3号(50年4月)、4号(53年12月)が刊行されている。4号の「聞き書き・大阪プロレタリア文学史(1)」は、『独創』の堀鋭之助を加えて、近藤計三、中村の3人が作家同盟大阪支部長を一時期務めた田木繁を訪ねた聞き書きだという。近藤計三については、「近藤計三の詩誌『狙撃兵』をめぐる足立巻一のやちまた」を参照されたい。
『蒼馬』3号に中村が書いた「大都映画の話」だが、これについては谷沢永一も評価していた。『紙つぶて 自作自注最終版』(文藝春秋、平成17年12月)の「映画史の襞にわけいって」に次のようにある。
小学校を出たころ「薩南大評定」や「隠密縁起」に夢中であった感銘を忘れぬ中村泰は、当時の監督、小崎政房を訪ねて詳細な聞き書き「大都映画の話」を作成、参考文献を渉猟した注を加え、個人雑誌『蒼馬』(略)第三号に掲載している。
(略)映画人、軽演劇人の貴重な証言をひきだした中村泰の熱意に脱帽。
小崎政房(おざき・まさふさ)はまったく知らなかったが、明治40年京都市生まれの映画監督、演出家らしい。富士や谷沢が感心した「大都映画の話」が載った『蒼馬』3号は国会図書館が所蔵しているので、読んでみたいものである。
追記:『富士正晴資料目録:富士正晴記念館所蔵』4書簡(富士正晴宛)編下巻(富士正晴記念館、平成7年3月)に中村からの昭和39年1月4日付け年賀状、54年5月5日付け封書が掲載されている。
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青山光二が描いた京都学派の奇人土井虎賀壽と『鹿野治助日記』
青山光二『われらが風狂の師』(新潮文庫、昭和62年4月)は、京都学派の奇人とも言うべき哲学者土井虎賀壽(どい・とらかず)をモデルに三高時代の教え子だった青山が書いた小説である。土井が「土岐数馬」、青山が「菊本辰夫」のほかは、関係者の多くは概ね実名で登場している。京都学派の哲学者や土井の教え子が多数登場するのは当たり前だが、意外な名前に出会えるので楽しい。たとえば、
(略)昭森社は実は、二階建のこぢんまりした木造建築の二階にあるのだ。階下が小さな別室の「近代文学」編集部と、喫茶店兼酒場の「らんぼう」だった。
(略)
和製バルザックの異名がある、容貌魁偉な昭森社社主森谷均は、限定本を主に、売れるはずのない詩集なども好んで出版する変り者の出版業者だったが、出版業の赤字を補填するために彼が経営しているといわれる「らんぼう」が、果たしてそのような目的に副うほどの実績をあげているかどうかは、はなはだ疑わしかった。(略)
「昭森社の森谷均人生最後の年賀状」で紹介した森谷が出ている。なお、小説中では土岐は、妻子がありながら出版社の女性編集者や「らんぼう」(正しくは「らんぼお」*1)の女給だった鈴木ユリ(後の武田泰淳夫人武田百合子)に入れあげたりしている。この辺りは事実なのだろうか。
今年没後100年を迎える村山槐多*2も出てくる。
三十年以上も前、彼(下村寅太郎ーー引用者注)が京都一中の生徒だった頃、二年上級に村山槐多がいて、早熟の少年詩人として校内に異彩を放っていたが、画家としての槐多も早熟だった。(略)
土岐のデッサン*3は、直截で太い線や、対象に対うとすぐに反応して速い速度で描くらしいところが、たしかに村山槐多に似ていた。そういえば、土岐はボードレェル研究のために辰野博士の弟子になったとかいうのだが、少年時代の槐多も、ポーやボードレェルやランボオなど、世紀末の詩人・作家を耽読して、それが彼の画作の基調になっているような一面がある。(略)
本書の「あとがき」には、「私にとっては旧師であり大先輩に当る、西谷啓治、高山岩男、下村寅太郎の三氏」へ取材協力への謝辞が述べられているので、この辺りの記述は信用してよいのだろう。
「鹿野治助の日記から見た物語「京都学派」再び」や「学内の権力闘争に敗れ教職追放となった京都学派の西谷啓治と鈴木成高」で紹介した鹿野治助の名前も出てくる。
高山岩男や土岐が京大大学院学生となった年の終り頃、高山の首唱ではじめられた華厳経輪読会*4は、さいしょ、漢訳『入法界品』をテキストにした。(略)同学の鹿野治助も参加した。
土井と鹿野はあまり親しくはなかったようだが、鹿野の日記に土井の名前が登場するので紹介しておこう。おそらく本邦初公開だろう。
(昭和十七年)
三月二十日
今に至るも未だ講師口なし。土井氏より話ありし□同志社のは土井氏結局誠意なかりし為話をすゝめずして葬り去りしものなりき.西谷、高坂氏の話しより判明せり。土井氏嫌はれて漸次孤独にな□のもこの為ならん。
青山が描いたように戦後「躁鬱病」に起因するとされる奇行が目立ったらしい土井だが、戦前においても京都学派の中で浮いた存在であったようだ。
- 作者: 青山光二
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古書からたちで未知の早稲田大学出版部PR誌『早稲田出版月報』を知る
今は平野の杭全(くまた)神社傍にある古書からたちがまだ移転する前に買った『早稲田出版月報』。書物蔵さんも知らなかったので珍しい物か。もっとも早稲田の古書現世に「よく見ますよ」と言われちゃうかもしれない。『神保町が好きだ!2018』の「出版社・書店等PR誌一覧」(飯澤史生)にも記載されていないので、記録しておこう。
・昭和3年4月号(同月15日発行)32頁
新刊と近刊
喜多一重「我国の金融と景気 服部文四郎氏の近著(国民新聞掲載)
早稲田大学出版部発行図書一覧表
・昭和3年6月号(同月15日発行)30頁
清沢洌「ラッセルの『産業文明の前途』塚越菊治氏訳」(東京朝日新聞掲載)
山口剛「坪内逍遙博士鑑選『近世実録全書』」
早稲田大学出版部発行図書一覧表
内容は自社出版物の書評と発行図書一覧だけなのであまり面白くはない。昭和3年4月号に第11年第4号とあるので、大正7年1月創刊かもしれない。その後先月の全大阪古書ブックフェアで古書鎌田の300円均一コーナーから5冊も発見。発行時期が近接しているし、どちらも大阪古書組合加盟店なので出所は同一かもしれない。古書鎌田から入手したのは、
・昭和3年11月号(沙翁記念完成号、同月15日発行)32頁
逍遙「沙翁全集第四十巻『シェークスピヤ研究栞』を書くに到つた所以」など
・昭和4年1月号(同月15日発行)32頁
「一九二九年を迎へて」、吉江喬松「羅馬の夕日」(吉江『南欧の空』抜粋)など
・昭和4年4月号(同月15日発行)32頁
森田亀之助「森口多里君の近著 美術概論」(国民新聞掲載)など
・昭和4年9月号(同月15日発行)28頁
戸島紀光「実際教育の立場から見たる皇室新論」、本間久雄「高安月郊氏の近業『日本文芸復興史』を読む」、田中王堂「杉森の哲学 杉森孝次郎氏の近業『綜合倫理学』を読みて」など
・昭和4年11月号(同月15日発行*1)28頁
五十嵐力「純正国語読本の上梓に就てーー主として教育家諸氏にーー」、岩崎勉「佐藤慶二著「現象学概論」を読む」など
編輯兼発行者は昭和4年4月号までは種村宗八、同年9月号は武田尾吉、同年11月号は石野元蔵。『早稲田大学出版部一〇〇年小史』(早稲田大学出版部、昭和61年10月)によれば、早稲田大学出版部の前身東京専門学校出版局は明治19年発足、明治35年に早稲田大学出版部と改称。『早稲田出版月報』に関しては言及してないようだ。ただ、大正7年1月出版部は組合会議を開き匿名組合組織から株式会社に変更することを決議し、主事種村を通じて大学の承認を求めたとあるので、そのあたりの動向と同誌の発行は連動しているのかもしれない。
- 作者: 早稲田大学出版部
- 出版社/メーカー: 早稲田大学出版部
- 発売日: 1986/10/21
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